やりたいことはね、いっぱいあるのよ。

 

でもね、あきらかに才能がない。

 

もうさ、勉強とか高校中退してから10年近く試行錯誤してるけど、ぜんぜんできるようにならない。

 

YouTube とかも、そもそも投稿する頻度が極限まで不定期で遅いし、そもそも編集が得意ではない。編集せずに無編集で上げてる動画がほとんどだしね。

 

ブログも得意かと言われれば、そもそも文章を書くこと自体が得意ではない。大学の教授に中学生でも書ける文章の基本ができていないってお墨付き貰うくらいだしね。

 

ゲームとかも、周りの友達にボコボコにされまくるくらい弱い。ゲームの実況なんて、そもそもまともに喋れないし。

 

なんかね、周りと比べるとそもそも元々のスペックが低いのよ。

 

背は低いし、顔も悪いし、猫背だし。

 

勉強もできないし、運動もできない。

 

じゃあ努力できるかと言われれば努力もほとんどできない。

 

メンタル面も精神障害をもってるくらいには荒れてるし。

 

あれ?もしかして詰んでね?って思うくらい手持ちの手札が弱いのよ。

 

これで、どうやって戦えばいいの?って感じ。

 

で、よく考えたわけ。

 

そして、あることに気づいたわけよ。

 

そもそもやりたいことって誰かに評価されるためにやるものだっけ?って。

 

別にさ、ゲームの実況とかも、1人で勝手に喋って本人が気持ち良ければ別にいいんじゃないのって。

 

そりゃ確かにやりたいことで誰かに評価されたい気持ちはあるよ。ないと言えばそれは嘘になる。

 

でもさ、一人でワイワイ勝手に盛り上がれるなら、それはそれでいいんじゃね?と思うんだよね。

 

確かに情報とかを発信する以上、承認欲求があるのは確実なんだよ。

 

やりたいことをやってる自分を評価してほしいという気持ちも確実にある。

 

でもさ、やりたいことをやってる自分を評価する人の中には、他人だけじゃなく、自分自身も含まれてると思うんだよ。

 

こうやって毎日頑張る自分を1番見てて、誰よりも知ってるのは自分自身なんだから。

 

そんな自分自身が自分ってこんなに頑張ってきたんだなって認めてあげられるわかりやすい指標としての情報発信による記録づけみたいのがあってもいいと思うんだよね。

 

他人には評価されないけど、やりたいことを精一杯やってる自分を記録に残すみたいな。

 

何度も言うけど、もちろん他人に評価されたい気持ちがあるから、ネットに残してるのは確実なんだよ。

 

承認欲求モンスターっぽいところはあるよ。

 

でも、なんというか、こういうブログの記事の一つ一つというか、ネットとかに残すものって自分の一つの作品みたいな側面もあるのよ。

 

誰かに確かに見られたいけど、完成したあとでそれを一人で眺めて、自分がこんなもの作れたんだなって感動するみたいな。

 

そもそも、やりたいことやる理由って自分が楽しいからってのが普通なんだけどね。

 

なんというか、ここで自分が言うやりたいことって、ある種、他人から評価されてお金がもらえることっていう意味を少なからず含んじゃってるんだよな。

 

仕事とやりたいことをごっちゃにしてるみたいな。

 

本来やりたいことって、他人がどう思うかとかそういう次元の話じゃなくて、自分の主観だけの話だと思うんだよな。

 

そもそもやりたいことの才能がないっていう発想自体がおかしい気がする。

 

やりたいことに才能とか関係ないでしょ?

 

そもそもうまくやる必要がないんだから、みたいな?

 

ってなると、自分がやりたいことと思ってることってやりたいことではないのかもしれない。

 

やりたいことってそれが上手くできるとか関係なく、やっててハッピーなもののはずだからね。

 

 

できるようになりたいことって表現が正しいかもしれない。

 

やりたいことって他人全く関係ないもんな。

 

まあ、定義によるか。

 

でも、才能なくても、自分が納得できるなら全然続けてもいいと思う。

 

下手だからって楽しめないわけじゃないと思うし。

 

自分が楽しめるかが重要なんじゃない?

 

まあ、あんまり深く考えてもしょうがない。

 

気の向くままに生きればいいのだ。