なんばグランド花月(長い話) | minimumanti

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minimum+anti 小劇場発 ハリウッド行

なんばグランド花月に行ってきた



ミキやとろサーモン、プラスマイナスや西川きよし等々大御所。

世間の流行という点に於いて、うちが多用しているのはミキの漫才のようなテンポ。

ミキはもちろん、前説や前前説、入ってきたお客への工夫。

恐ろしく勉強になったな。

お客の空気を読んでの尺の延長、短縮。
お客との絡みをどこまで粘るのか?
台本をどこまでアドリブのフリをして自由な雰囲気を楽しんでもらうのか?
もしくはパンチの弱い部分を、アドリブでやっているフリをして笑いを倍にするのか?
その逆で思い付いても言わない瞬時の取捨選択。

僕自身の見立てがどこからどこまでが正解かはどうでも良くて、確かにそういう技術が存在していて、出ている芸人さんがその技術の存在を知っていて、その技術をお客の空気を読みながら使えるということ。そして使いながら、その時のお客のコンディションに合わせて、ベストに近い公演に変えているということ。

芸人になって二年目。テレビに出たこともない芸人ですら、僕が見てきた役者よりもはるかにお客の空気を読むのが上手かった。

その差は覚悟。それを生業としていく覚悟。
いかに今の役者が、覚悟もなく何となくたくさん舞台に出ればうまくなると勘違いしてたくさんのスキルアップのチャンスを失っているか。

素晴らしかった。勉強になった。
騒いでいた輩の集団。すぐバラすけど。
レクサスの会社らしい。
まぁそんな集団すら、芸が始まってしまえばただ笑っている。
修学旅行の団体も。
おじいちゃんおばあちゃんも。
メッセージはない。
芸を通して伝えたいメッセージなんかない。
強いてあるなら笑いは素晴らしいってこと。

うちが目指したいものがそこにはあったな。



親不孝な職業を選んでる。
だからこそ作品を通して伝えられるメッセージなんてものはない。少なくとも僕には。

書くときにこんなメッセージが伝わればいいな、なんて思ったこと今まで一瞬でもない。
だけど来るお客さんが損をしないクオリティのもの。
あー楽しかった。と言えるもの。
という指針だけはある。
そしてこれからもきっとそれだけ。
とても共感の出来る空間だった。

演目が始まるまでのあの工夫。
うちももっともっと出来るな。
取り入れよう。
ここでは絶対にバラさないけどね。

そして何よりも。
やはり吉本という会社の素晴らしいこと。
お客さんへの還元が出来ている
来たお客さんが楽しめる空間作り。
ひとえに設備投資。

劇場施設内の充実。
お客さんが長時間の観賞に堪えうる空間。
当たり前の当たり前の当たり前のことなのだけど。

少なくとも僕の知っている劇場さんは儲かっていても、お客さんへの還元をしているとこを見たことがない。

設備。
椅子ひとつとってもそう。
お客さんの体が痛くならないちゃんとした椅子すらない。
安全面を配慮した造りでもない。
心地よい空間を提供するための日々のメンテナンス。
劇場を借りた団体。
劇場を貸した小屋主。
あくまで対等の関係。
少なくとも社会常識では。
であるならば、その二つが協力して一つ一つの公演を盛り上げていく。という当たり前の流れが演劇には存在していないということ。

時代遅れというより、ただの非常識な文化がなんの疑問もなくそこに存在している。

相撲協会しかり。
レスリング協会しかり。
演劇もしかり。

全てに共通しているのは、それしか知らないバカしかいないから。

学ぶ場はあるはず。
学ぼうとしないバカしかいないから。

だから変えよう。雀の涙ほどの前進でも。
そんなことが出来る力なんて今の僕や、minimumantiにはない。
無い、と思って考えることを放棄していることがたくさんあるだけ。
きっとある。
まずはうちに出来る精一杯を!なんて、なんの解決にもなってない青い結論で許してくれるほどうちの劇団員は丸くないのを知ってる。
だから、うちに出来る精一杯なんてのは息を吸うのと同じ行為。
そんなことをいちいち言う必要はない。
荒らしに荒らしに荒らしまくろうじゃないか。
良くわからん風習は壊そう。
試した結果要らなかった常識は既に何個もあったもんな。 
ビジネスとして正しい関係、流れを作ろう。
演劇だけをやりたい役者が演劇だけで食べていけるビジネスにしていこう。 
アングラな文化であることのメリットは演劇にはすでにない。
映画でも生の迫力は体験出来る時代だからね。

そう思った大阪の旅でした。

まだ帰ってる途中ですが。