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仏教用語でも
私たち一般人がよく耳にするのが 「さとり」
さとり、それは仏のたどり着いた境地とされている。
法華経はそれとは違うと説いている。
ブッタが挑んだ、断食のような
修験者が行う、荒行のような
そんなものの先にある特別なものではない。
私たちが日々を過ごす中で出会うちょっとした”気づき”
ちょっとしたひらめきに出会うための能力=”気づける能力”がさとりなのだと。
そして、さとりを開きたいのならもとめる心を持ちなさい
こころの向うところ=志=意志
これらを高めなさいというのだ。
私のもとめる心は正常に機能しているのかな
正直、今の私は求めることを怖がっている気がする。
私にも”もとめる心”はある。
でなければ、こんなに悩んだりはしないのだろう。
でも、求めた先の希望が見えない。
だからそれを与えられるのを待つばかりなのだろう。
与えてくれそうな場所から場所へと移る。
そんなことを繰り返して気がする。
もう、振り絞る勇気なんてそこをついている気がする。
だから、考えてしまう。
勇気ってどこからくるのかと
それって初めから自分自身の中から沸いてくるのかと。
みなさんの勇気はどこからきてますか?
だれかからもらったものですか?
私は少しだけ歌の力を借りようと思います。
澄んだきれいな声に
こころまできれいになれそうな
そんな歌。
君の声が聴きたいな。