家の近くの海岸キラキラ

こんにちは、minimosuです桜


今日は私の実家の話を書いてみたいと思います。


私はみかんの県で生まれ育ちましたオレンジ

父、母、姉の四人家族です。

今は父、母、姉、姉の子どもである甥っ子3人が実家?(私は住んだことがない家なのでなんと言うべきか…家)で暮らしています。


私は大学から県外へ出ましたが、出る前から実家の家族とうまくいかず、自然と少しずつ離れていったという感じですタラー


それでも、大学時代や就職したての頃は1年に数度は帰っていました花今は施設にいる祖母に会うためと祖父のお墓参りに帰るくらいです✨


親や姉と何が上手くいかないかというと主に会話ですお母さん

私は普通に話しているつもりでも、親や姉からすると否定したくなるような感じなのか、いつも会話してると「それはこうなんじゃない?」「それってこういうことだよね?」と、私が思うこととは違う結論を持ってこられます不安

それが否定に聞こえて、私も「違うよ」と言ってしまうのですが、親や姉は「でも、結局はこうでしょ」と決めつけた感じになるので、いつまでも会話が成り立たない気がしてしまうのです。


お互い様ですね。合わないんでしょう爆笑


でも、若い時はそれがとてもつらくて

何だか考え方が違うなぁショボーン

と思いながら中学高校と過ごし、

大学に進んでからは親と離れて

なんだか開放的な気持ちになりました(酷い)


否定が強いのは特に父親で、バラエティを見てたら「こんなん見てるやつはバカの証拠」

私が大学に受かったら「大学に行くからって自分は賢いと思ってるだろ?馬鹿なやつだ」

テスト日で早く帰ったら「またサボりかダメな奴だ」


こんなことを毎日唐突に言われます。

会話の中で言われるのではありません。

急に現れて、急に話しかけてきます。


こちらからすると

ひらめき

です。


どういう思考なのか、そもそもなぜそんなことを言われないといけないのか理解が追いつきません凝視


なので、大学時代は学費の奨学金を借りて、生活費も自分で稼いでいました。親は一銭も出していないし、挙げ句の果てには母親に頼まれてたまに生活費まで送っていました。

今であれば、「何も迷惑を掛けていないのだから文句を言うのはやめて」と言えるのですが、当時はただ傷ついていました。

それに、誕生日にも成人の日にも「おめでとう」と言われた事がありません。言ってくれるのは祖母やもう亡くなった伯父です。成人式の着物も着付けも自分でお金を出して用意をしました。心配した祖母が成人式の当日に写真館を予約して写真を撮ってくれたのが嬉しかったです。


なんだか書いていて悲しくなりました泣き笑い


なので、親や姉とは今後も適度な距離感でいたらいいかと思ったりもするのですが、ただ、気になってしまうこともあって、それは姉の子どもたちなのです。


実は三人の男の子たちなのですが、長男と末っ子二人が小学校低学年から不登校になり、そのまま長男は成人になりました。末っ子も高校生です看板持ち


そして、一番下の末っ子は話を聞く限り、発達障害があるのかも?という気がしています。家の中をウロウロ歩き回ったり、同じ動画を何年も見続けたりしているそうです。

どういう障害になるのかわからないのですが、小学校低学年から一回も外に出ていません。


知り合いに聞いた所、小学校に入学した当時も教室でウロウロしてしまったり女の子にちょっかいをかけて怒られて癇癪を起こしたりしていたそうです。その後学校へ通えなくなり、今は高校生の年齢になりました。


私がそのことを知ったのは、末っ子が中学生に当たる頃(中学も不登校)で、姉に一度病院へ連れて行ってやったらどうかと話をしたことがあります。

その時の姉の反応はというと、


私の子を障害者にするな。その発言は二度と忘れない」「子どもを産んだこともないくせに意見するな


と言ったものでした真顔


私は末っ子本人がもし障害があるなら、それを受け入れて理解して貰えた方がいいのではないか…

障害があった場合、受容されないままでは本人が辛いのではないか…と思ったのですが、姉の受け取り方は違うもので、そこから姉とは不通になりました。


私の言い方が悪かったかも。確かに関係ないのだから、口を出すべきではなかった?とすごく悩みました。


でも、私がまだ20代の頃、実家に帰ったときに会った幼い甥っ子たちは、とても可愛くて自転車を買ってあげたり公園で一緒に遊んだりしていたのです。それもあって、勝手ながらなんとかしてあげたい気持ちが強く出て余計なお世話を焼いてしまったショック


その後、私は結婚して子どもを授かりましたが、万が一子どもに障害がある場合は、それを含めて本人を理解してあげたいと思っています。


一番の理解者が側にいてくれるというのは私がずっと欲しくて願っていたことでもあります。私は親になると分かった時、子どもの一番の味方でいようと決めました。


(実は上の娘は、今度お医者様の面談後に必要と判断されれば発達検査を受けることになっています。こだわりがあったり、ボーッとしてしまったりというのが園の先生から気になると指摘を受け、病院での診断を仰ごうと現在進めています)



不登校もそうですが、私は親と姉との会話が成り立たず辛い時期があったので、甥っ子たちもつらい気持ちを抱えているのではと思い、この十数年ずっと心配しています。


姉は無職で、70過ぎの母親が金銭や生活の面倒を見ています。父は無職。

家は祖母名義の家に住んでいるので家賃はありません。今まではシングルマザーであることと、児童手当があることでなんとかなっていたようです。でも、怠惰な性格なので40代で糖尿病になりました。


親も姉もどうでもいいけど、今後の甥っ子が心配です。3人中2人も学校へ通えず、うち2人はもう成人です。


「関係ない」


 と言われてしまい、もう関わることが叶わない甥っ子たちですが、いつか姉たちの元を離れ、社会に出られる日が来たら、どうか幸せになってほしいおすましペガサス


そう願っています。


最後までご覧いただき有難うございましたふんわりリボン


 

去年姫路旅行で泊まりました。子ども歓迎の旅館で、おもちゃやゲーム機、塗り絵なども用意されています。子ども連れで迷惑にならない旅館をいつも探しているので、助かりました。