30代後半のいい大人になり

残りの人生をどう生きるか

最近、本気で考えている。

 

 

考える方法としては

幸せで満たされた状態で

おばあちゃんになった自分になり

 

そのときどんな暮らしをしているか

反対に、どんなことを悔いているか

を考えて

 

それを書き出すところから。

 

 


おばあちゃんの自分は

映画・リトルフォレストのいち子のような日々で

畑仕事や収穫物に忙しい。

 

 





だから、今から

いつかの畑のために

ベランダ菜園に精を出している。

 

 





 

来客があるときは

映画・土を喰らうのツトムのように

真心込めた料理で客人をもてなしたい。

 





そのつもりで

今から家族へ手料理する。

 

 

 


 

いくつになっても

自分の足で歩き、散歩がしたい。

今夢中になっている、朝ドラ・おしんのように

大地を踏み締めて、前に進みたい。

 





今から1日1万歩を目指して

歩いている。

 

 

 


 

おばあちゃんになった

私がほしいものは

 

お金でも、モノでも、名誉でもなく

 

暮らしの中にある

小さなことを喜び、楽しむ心であった。

 

 

 

今は家族を養うために

一生懸命働いているけど

なにものかになりたいわけじゃない。

 

 

別に成功しなくてもいいし

世間様に忘れ去られてもいい。

 

 

もしも、今のありがたい環境を失って

別の仕事をすることになっても

その仕事で精を出す。

 

 

そうなったら、それが運命なのだろう。

 

 

一生変わらないことはないし

変容することに

執着するのは重く苦しい。

 

 

 

わたしは

愛する家族と友人が笑って

幸せに生きていれば

 

ほぼ願いは叶っている。

 

 

だからもう現時点で

全ての願いが叶っている。

 

 

 

もう別に

どうにもなりたいとは

思っていないけれど

 

せっかく働くのなら

楽しいほうがいいし

 

手抜きをするより

本気で取り組むほうが

夢中になれるし

 

魂の成長にもいい。

 

 

だから一生懸命にやるんだけれど

今在るモノもコトも

なくなったっていいやと思っている。

 

 

ヒトは、いなくなったら

悲しいな。とても。

 

やっぱりどうしても

家族と友人には

いてほしい。

 

ここには執着していると思う。

 

 




 

それ以外は

日本国内の

安い賃貸でも安全だし

それなりの暮らしはできるし

 

ぬか漬け・玄米・味噌汁

が食べれれば幸せだし

 

近所の散歩で

旅行と同じ

感動が味わえるし

 

小さな本棚に

詩集やエッセーがあって

 

服1枚と

繕箱があればいいな。

 

 

それで、いいな。

 

 

 

それでときどき

巣立った子どもらから

便りが届けば

何度も読み返して

若くて未熟で

一生懸命子育てしてた

自分や家族のこと思い出し

 

まるで感動的な映画を見たように

涙を流すんだろうな。

 

 

 

 

そんな一生で

この世を去りたい。