資本主義は、


手に入れる、足す、増やす、大きくする、


というように、


社会全体で


プラスが良しとされるような傾向にある。



その社会の中にいると、


お金はあったらあっただけ良いとか、


もらえるものは全部もらうとか、


余裕があるに越したことはないと言うのは、


当然かも知れない。


最高ラインなどなく、青空天井かのよう。


でも、果たしてそうだろうか。



片付けをしたりして


自分軸を探る中で、


物質面や精神面において、


最低これだけあればとか、


最低限これを守れていればとか、


「最低ライン」を決める場面は多くある。



最低ラインを知ることで、


これだけあればいいんだ!という事実は、


人を安心させ、自由にさせる。




でもミニマル道を歩んでいると、


それに加えて、


「最高ライン」にも目を向けるようになる。



多くてもここまで、という


最高ラインを知ることによって、


さらに自由になれる。




年収300万円で満足できる人が、


年収3億円になったら


100倍幸せを感じるかというと


決してそうではないという。



一人ではつまらないけれど、


仲間は多いほうがいいかというと、


人によって付き合いの深さや広さがあるから、


自分の付き合えるキャパの人数を超えたら、


それは苦痛でしかない。



環境のために、と


エコな暮らしを取り入れても、


労力が多すぎたり、


自分の幸福感を落とすようなら


本末転倒だ。



子どもに手づくり料理を作りたいが、


毎食は無理、というのも本音だ。




ある程度最高ラインを設定することで、


自分のエネルギー消費の


無駄を避けられる。




高級車を12台、所有したんだけど、


そしたら、毎月車検なんだよ?!っていう人の


話しには笑ってしまった。


エネルギー消費の無駄とは、


きっとこういうこと。




多いのが一番いいのではなく、


「ちょうどいいのが、一番いい。」



そして、「ちょうどいい」には幅もある。




ミニマル道を歩みながら、


その時その時の自分と対峙して、


最低ラインと、最高ラインを探りながら、


「ちょうどいい」の幅の中で、


いい塩梅で過ごしていきたい。