別れがあり出会いがあり


他との接触と影響と距離

空間と環境と温度


諸々にちょっと疲れて

SNS嫌いが発生


親が私の生存確認に使っているTwitteは

情報収集の為の閲覧ツールで使っており

キーワード検索は見るものの

TLは基本スルー、というか放置


Facebookでの見知った周囲の人間とのやり取りすら

ちょっと億劫というか

みんなの情報を取り込む作業自体を脳が拒否

せめて…と掲載していた現場報告も

たまに止めてみたり


で、新たに息を抜いてのんびりできる場所を求め

インスタとちゃんと向き合うことにしました


いずれにせよ写真ありき

主張もあるだろうけど、ふと思ったことを

絵できちんと表すというのも

表現力を鍛えるのに使えるし


逆にもやっとしたものでも

コメント無の写真だっていい


自分の目で見たものの一部を切り取って

みなさんの視線と合わせてみた時に

もし何か思ってくださったら


コメントなりいいね!なりを残して頂ければ、と



当面は公開で個人情報ダダ漏れの方針です(・ω・)b


って、そんなに大したネタはあげてへんけど



今週末、USJに日帰りで突撃しようかと思ってるけど

行けるのかどうか?まだ未定


休み欲しい(。-_-。)



yellow

2015年ももう1ヶ月が過ぎました

今月は元から日にちが少ないから

尚更あっという間に終わるのでしょう


ご無沙汰です

あけおめです

yellowです



さて、今月は・・・というか今週から

今年も雪まつりが始まります


参戦・・・というか労働は2年目

色々その他の仕事もあるので

今年は5泊に留めることにしました

それでも5泊


案外長いぜ、出張にしては


今回の配置はZEPP札幌になります

皆様のお越しを・・・先行販売は軒下にて

凍りながらお待ちしております(-人-)


この時期の-----

札幌で-----

屋外販売ってど-----なのさっっ!!!!


人でなし(´・ω・`)



昨年は室内販売で何とか乗り切りましたが

今年は怖くて、怖くて・・・行きたくない←

どんな罰ゲームやろ、まじで



今年に入ってからは

午後2時のファンミ@SSAだったり

カフェ@ZeppDCだったり

りすあに@武道館だったり

既に色々と現場はやりながらも

バリ島に初めて行ってみたり

会社の運動会で老体にムチ打ってみたり

盛りだくさんな日々を送ってます


今月はメインが雪まつり

後半は少しペース落として・・・いる間もなく

3月にTDCホールでとらはもあって

年度終わりに苦しむ絵まで見えています


仕事があるのはいいことです

というか

自分の需要があることが嬉しいです

ただそれだけ


私を必要としてくれる人がいるなら

その為に馬車馬のように走り続けるまで


そいや

最近新たに「EDITOR」という肩書きができました

記載されるのは某バンドのFC向けのグッズなので

限られた方にしか見られることはありませんが

COORDINATORよりもう一歩CREATIVEに近づいた

そんな場を与えられた機会に感謝しています


いえーーい(・з・)b

しかもあの子たちの作品ってかなり嬉しい

どらげない



バリ旅が3年前?のAFA@シンガポール以来の海外で

先日の石川氏の個展にも影響をされたんだけど

今年はもっと遠く エンダ 長く飛びたいなと

国外へ


久しぶりに英語脳になると

喋れなくなっている自分に愕然とするんだけど

同時にやっぱり会話が心地いいな、と思う


異なる文化、異なる言語を持つ人々と

気持ちを交わす欲は未だに自分の中に強くあって


100%全部じゃなくても90%近く心が通うことが

本当に楽しくて面白くて

無駄に単独で知らない街をプラプラして

人々とコミュニケーションしてみたりとか



英語が通じる時点で最早怖くはないし

過ごしてて苦労はないのだから

こういう体験は生きている間にもっとすべきだなぁと

改めて感じた次第



「若いうちに留学をする」という人生経験が

私のいまのスタイルの核にもなっているし

精神的に強いというかたくましいというか


ある意味冷静だったり、客観的・合理的だったり

でも感情的や本能的な部分もあって

・・・我が強い(苦笑


良くも悪くも・・・かもしれないけど(´-ω-)


日本だけで育った人間にはない

視野が広がる体験をさせてもらった両親に感謝しとります



海外に出た瞬間

私は「伊藤家」の枠を外れ、学歴も抜け

ただの1日本人となる

逆に言えば、海外で接した人にとっての

「日本人像」=私、という危険な図式ができる


人種的にはどちらかと言えば卑下される側

有難いことに厳しい差別を受けた経験はなかったけど

マイノリティはマイノリティの階層で暮らすのが

ふさわしいとい事実も理解できるし

NYなんかでは人種が塗れすぎて案外気にしない


それまで過去に背負ってきた荷物が

キレイに落とされて素の「個体」となり

世の中的な偏見や常識のフィルターをかけられながらも

尊重をされるけど、主張もしなければ埋もれる

バランスが難しい


私が私であることを責められないけど

私がとる私の行動に責任をとるのは自分


凄くシンプルで生きやすい


他人本願、人任せ、他人と比べることが

誤りであるということに確信を持つことができて

ようやく息が抜けるようになった


好きなものは好き

嫌いなものは嫌い

何事も自己責任



日本の美徳というか

曖昧さやハッキリしない美学に関して

否定をする気持ちはない


が、白黒つけることが正解でもない

世の中にはモヤっとしている方がいいことは多々


だから

「これはグレーでいいんだ!」

と言い切って、グレーをどこまでも押し通すこと

押し通す自分を否定しない力強さ

そういう感覚を学んだ


否定しないのと押し付けは違う

自分の意見を正義だと思うなよ、と


これだけ色々な人種がいて

文化も言語も多種多様だし

真逆の価値観がある

A国では正しいことがB国の常識ではNGとか

正解はいつになっても見つからない


であれば受け入れなきゃ、と

人なんて同じじゃないんだから

考えが違うことなんて当たり前

国を跨げば更に違うわけ


周囲の常識がグラグラなんだったら

自分くらいしっかりしなきゃ


私は何をどうしたい?どう思う?

きちんと主張をしなければ流される

周囲は自分のことなんて気にしてくれるほど

親切でもない


自ら声を発しなければ何も始まらないことに

気が付いてから・・・「私」がようやく始まった


私は他の誰でもない私で

私のことは私が一番に愛してあげないと

私は私でいられなくなる、と



ま、そうやって外人の「我」の強さが

自然と身についていくんだな、と実感しましたがw


でも大切なことだし

特に今のようなCREATIVEな仕事をしていると

直観とか自分の心に素直になることが

とても重要


そして

自分の意見や主張をきちんと説明できて一人前


ただの「嫌だ」は誰にでも言える

何故嫌なのか?どうしたら「好」になるのか

それを紐解いて未来を広げていかなきゃ



昨今のニュースなどでも良く聞く

「自己責任」


これって社会に生きる上で当然のことだと

むしろ常識だと思う


日本の文化には少し足りない要素ですが・・・



人には人の考えがあって

自分を正として他人を否定するのは

性分に合わないので、あまり言いませんが


カッコイイ生き方とは思わない、かな


私は死に際まで私が好きな私でいたいから

私が納得のいく私の日々を過ごすだけ


そこには私が愛する多くの人がいて

その人たちをハッピーにすることができたら

幸せだな、と

ただそれだけ


simple is the best

シンプルであることの難しさと

シンプルを愛する繊細さの狭間で

今日も生きております



そんなに難しいことじゃない


白か黒の選択肢にグレーを入れてみる

AとBで悩んだら思いきって2つともやめてCにする


目の前に障害物があるのなら

それを壊す努力をするのではなく

障害物を越えられる自分になることを目指す


どんなに辛い日があっても

それ以上に辛いことはないって思えたら楽になる


考え方次第でどうとでも生きれる人間は

とても素敵だな、と思うのです(・ω・)




今年もよろしくお願い致します



yellow
後輩がFacebookで↓のような記事を取り上げて


「…共感しすぎて涙が出る。」とコメントしていた


「俺たちが定時帰宅したら日本の夜が暗くなるだろ」 JR新橋駅の社畜が奮い立つ広告が話題




『大至急じゃない時ってあるの?』

人にお願いする時なんて…

まぁ、基本「なる早」ですよね(´-ω-)


こちらの緊急度をどれだけ失礼でなく伝えるか?

且つ、最短で入手できるか?

これがマスター出来た人は強いです



『行こうぜ、日付変更線の向こう側』

ここのところ、接待飲み以外は日付を越えておりませんが

会社で色々と雑務とやっていると有りがちなこと

そして…やがて人が居ない夜中の方が捗る!と勘違い

翌朝も起きれないし負のループなんだけどね…

でも、やっちゃうよねー



『俺たちが定時帰宅したら日本の夜が暗くなるだろ』

カッコいいっす(´;ω;`)

泣けるっす(´;ω;`)


これに対して、熊本出身のアシスタントが↓のように

コメントを残していました

「ヨクナイデスネ!
電気消えたらもっと空の星が綺麗に見えますよ」


これ、東京出身者(私)には全然ピンとこなくてね


こんな都会で生まれ育つと

ビルや街の灯りを見てホッとするんです


会社が早く終わり、社屋が消灯して

街の灯りが消えると…確かに星はよく見えるだろう

その事実はわかるし


星みてキレーと思う感覚はある

流石にそんなにスレてない(・ω・)


が、「それを毎日求める」という欲求がない

あったらあったでいいけど

無くても…それが普通だから、とスンナリ納得できるのだ



当の熊本っ子とて、東京で暮らして数年経つし

東京という街に慣れてはいる


でも、子供の頃から周囲にあった環境が

その人間の軸となるので比較されてしまう


比較して…それの良い悪いは

その人間によって異なるというか

どれも「正」だから、自分の環境を神として

他を見下すことは誤りなんだけどね


幼少期からの記憶は現状より人に強く働くから

どうしても感覚が振り回されがちな気がする


そもそも深く考えて発した言葉でもないし

気にせず書いたことだろうけどw


自分も気を付けないとな、と思わされた次第



逆にね、こんな都会に生まれ住んでいるから

他の都市の自然の美しさが人よりも感じる

ということもある


光と影は裏表

光が無いと影は生まれないし

影があるから光が際立つ


東京も捨てたもんじゃないぜ?(・ω・)b