子供の頃から"テレビ好き"だった。
古い記憶は、ひょうきん族やら元気が出るテレビ。それからテレビはダウンタウンが席巻し、今ははんにゃやオードリーを見ない日はない。ドラマも数えきれないくらい見てきた。おかげで18の時、受験勉強とテレビを両立した挙句、"眼の神経をやられる"という偉業を成し遂げたのだ。結局、大学では"メディア論"を専攻するほどにテレビが好きだった。その割に我が家のテレビは、未だに"しょっぱいテレビ"のために多チャンネル時代には全く追いついていないのだが。
それはさておき、今一番面白いと思うテレビ番組はテレビ神奈川で放映中の『勝手にガイドライン
』である。
コンテンツは至って単純。ライオンやらアライグマのぬいぐるみを静止画で映し出し、フリートークのスタイルで「勝手に色々なガイドライン決める」というもの(初回テーマは『犬』)。そして、出演者はタレントではなく、制作スタッフである。
つまり喋りのプロではない"普通の人たち"が、番組を展開させているのだ。しかも、先に「勝手に色々なガイドライン決める」と記したが、プロではないため当然ながら話は右往左往する。今日現在(2010年1月25日)、15回の放送を終えているが、未だ『犬』の話を続けている。その間、『椅子』の話や『心の時代』と『犬』とは、全く関係のない話を展開している。さらにその語り口は、「飲み屋で大人がいい加減な話をいい加減にする」然としているのだ。
しかし、これが非常に面白い。何が面白いのか。この"いい加減さ"が面白いのである。肩に力の入らないコンテンツ、プロではないための自由さ。5分という限られた枠の中で、いかにどうでもいい話をどうでもよく真剣に考えるのか、これがこの番組の醍醐味なのである。テレビでありながら、非常に"ラジオ的"である。というか、ラジオだ。
よく言われるコトに「深夜番組がゴールデン枠に移った途端、面白くなくなった」という文句がある。深夜枠で予算が限られているという制約の中で制作サイドが知恵を絞って面白くしようとする。その努力が結果に結びつているであろう。しかし、ゴールデン枠に移ることで予算は上がり、やれロケに行ったりだ、売れっ子のタレントを起用するだの番組としてやれることの振れ幅は大いに飛躍する。それが、結果として余計な脂肪と化すのである。
なぜ"余計な脂肪"となるのだろう。コンテンツとしては一見非常に充実したように見えるが、「受け手はそれを欲していない」のだ。
先日、ある情報番組で『欲しがらない若者』というテーマのコーナーを目にした。現代の若者には、かつての若者と比較すると非常に"欲"が欠落しているそうだ。一昔前の若者にとって、あらゆるモノが(情報についてもの同じ)手に入ることはそうそうなかった。それが故に若者は、それを手に入れるために労を惜しまず学び、働いた。しかし、現代の若者は、どこにいても欲しいモノ(情報)は手に入る。しかも、往々にして手に入る範囲(日常の範囲)のモノを欲する傾向にある。子供の夢に"公務員"がランクインする時代なのである。
話を戻すとゴールデン枠のバラエティ番組の多くは、若者をターゲットに制作されているだろう。制作する側は、彼らに好まれるであろう企画を提案し、そして提供するが、受け手の若者にそれを欲するコト"欲"がないのだ。余計な情報は必要ないのだ。それを「面白くない」と評するのだ。
そうなると『勝手にガイドライン』は、現代にウケる最たる番組と言えるだろう。もはや画は、動かない。日常の範囲内で聞かれるような会話(にしては、笑いをとれる口調、内容だが)。面白い友人が語り部として居酒屋で面白い話をしてくれるような、当たり前の範囲で物事が展開するのだ。テレビである必要があるか、というと正直ラジオでも十分可能なコンテンツではあるが、ただこれをやっているメディアがテレビであるだけである。しかし、これがこの番組の"魅力"と言えるだろう。
欲しない相手に与えても無意味なのだ。「馬の耳に念仏」、とはよく言ったものだ。テレビではあるが、余計な脂肪は全て削ぎ落とし、音声だけで勝負する。これが現代のバラエティ番組に最も必要とされるスタイルなのだろう。何かをしながらテレビを見る。いや、実際には見ていなくてもいい。それでも楽しめる番組が、今一番面白いのだ。"見ない番組"。様々なエレメントが欠落しているからこそ、受け手は考え、若しくは全く何も考えず見る(見ない)ことが出来る番組、というわけだ。
付け加えておくが、これはバラエティ番組という範囲に限ったことで、こればっかりが浸食したテレビ番組が横行したら、もはや終わりだ。