大学を無事卒業…
いくら4年間東京の大学にいても高校の時のような、心のそこの底まで語り合える友だちはほとんど出来なかった
でも、地元に帰れば多くの友達がいる!なっちゃんに明子に怜ちゃん、成瀬さんに、あっちゃん…みんなみんな心の友だ!!!
話しはコロコロ変わる…
ちなみに、なっちゃんと出会ったのは大学1年の時夏休み
遊びたいさかりだった大学の夏休み、思い切り楽しむぞ…と思ったら、意外やみんな帰巣本能を発揮して各々ねぐらに帰省して行った…
岐阜のおばあちゃんのとこに引っ越してからおそらく初めて夏休み…
愛知に住んでいた頃は、小学生の兄妹3人でよく遊びに来ていた
その夏、意外とヒマを持て余していた私はイベント会社のバイトで、大垣市(岐阜県)のスーパーで子供相手のちょっとしたプチ遊園地の乗り物管理を任された
そこでひとりのバイト仲間と仲良しになった
話してみると、結構話しが合う!
実家もそんなに遠くない!
何と言うかこれがウマが合うと言うのか、バイトが終わると最寄りの大垣市駅の近くのファーストフードのお店て終電近くまで話し込んでいた…これが私となっちゃんとの出会いだ!
余談だが、なっちゃんが3つも歳下と知ったのはそれからしばらく後であり、色々な意味でショックを受けた私は、この高校生のハナタレ小僧にどうやったら、敬意として私の好物の " ポテトLサイズを1週間分 " を払わせることが出来るかと本気で悩んだ…今は私が敬意を払っているのは言うまでもない…
大手システム会社の地元(名古屋)支店に就職したものの、毎日が楽しくてしょうがない…とは程遠かった
研修が終わって配属された部署はとりあえず希望が叶って「システム構築」に関する部署
ところが…
とにかく最初から、
(新卒にチェックが必要な仕様書なんぞつくるなよ〜!大丈夫か、オイ!
と元来上向きの鼻をさらに上げて、ブーブーと文句を撒き散らしていた
…こんなことが2年、3年以上続くと、本気で転職を考えてしまう
当時はまだ年功序列・終身雇用制度がまだまだガッチリと根付いた時代…
そしてオンナは寿退社が前提の即席社員扱い
余程の能力と目的意識、そして覚悟がないと管理職のイスはオンナには用意されはしない…
そんな息がつまるような職場で 悶々としながら " 書きかけの辞表 "と、" 来週から始まるプロジェクト " 、どちらを取るか
後輩に頼んだドリンクが、果たして " ココア " だったか "カフェオレ " だったかで、決めてしまおう…そんなに簡単にこの決断を飛び越えようとしてしまう自分が、私自身なにも不思議には感じられなかった…
そして後輩がココアを持ってきた次の日、辞表をだした
とにかく考えよう
はからずしも、大阪のお客さんのプロジェクトでコンサルをしてくれた人が、新しい会社を紹介してくれてもいいと言ってくれていた
それでも心の中のよどみに沈でんした黒い珠を、また元の色に取り戻せそうになかった
… …
そんな毎日を埋めるのは、ヤッパリ友達との付き合いと趣味だった
両方とも充実していた私にも、折に触れてお付き合いするチャンスは何度かあった…
そんな中、親友の愛知県に住んでいた明子(仮名)から1人のオトコを紹介された
バカでいわゆるオトコを知らないわたし
中身よりそのルックスに一目見てやられてしまった
初めてのデートで栄(名古屋の繁華街)のめいっぱいオシャレなイタリアンに誘われた
けっこう高額と思われる食事代、私の支払いを頑として受け付けなかった
それがなんともスマートに見えて、そして恥ずかしながらそんなデートが初めての私は、ますます彼を、意識してしまった
クルマで色んなところに連れて行ってもらった
今でこそ、ツラツラと書けるけれどその時は正直もうイカレテイタ
たぶんこの人なしじゃいられない…
もう何も周りが見えなかった
彼を失うのが怖くてしょうがなかった
何もかもこのひとに捧げたつもりだった
彼のための私で、私のための彼だと信じて疑わなかった…
そして彼もまた私を包み込んでくれた…
頭の中は彼のことで精一杯
このひとと結婚するんだ…
そんな自分が舞台の真ん中でピエロを演じていたと知ったのは、彼との些細な行き違いからだった…
対等な関係だと錯覚していた私はほんとうに些細なケンカをしたが、相手が謝ってくれるものだと信じて疑わなかった
それきり自宅に電話しても、携帯に電話しても出てはくれなかった…
スポットライトの当たらない舞台のソデで泣き腫らした日が何日も続いた
何も食べられない
眠れない
苦しい
死ぬほど辛い日が続いた
本当に狂ったように泣いた
とにかく苦しかった
毎晩、ひとり誰もいない田んぼのあぜ道にクルマを止め、カセットテープに吹き込んだ「小林明子の " 恋におちて "(Fall in Love)」を何十回も聴いて、声が枯れるほど泣いては真夜中に帰ってきた
そんな日々が続いた…
(今じゃ笑い話しだけど、あの曲だけは今でも聴けない、未だに涙が出るのだ…笑)
そして人の痛みを覚えた
同時に傷つくのが死ぬほど怖くなった…
それから転職した。何人かの男性も紹介され、その中の何人かともお付き合いもした
でも、もうあんな恋愛は出来なかった
出来るはずもないと心のどこかで思っている
そして45、婚活もベテランの域を脱して、すでに婚活マスター?だ
そんな中、婚活に求めるものに "愛“ なんて気恥かしくなるような、でも大切な要素の中に一つまた重要な要素が入ってきた
" 孤独の怖さ " だ
このまま " 老後をさみしく独りで過ごしたくない "
ごく真っ当な感覚だが最近この感覚、要素が恋愛よりちらほら上位になるようになってきた感がある
またまた、余計な荷物を背負い込んだ気分
最近はこの恋愛マスターの行き着きたい場所も曖昧になったけど…
山口さんとは
「 " 結婚には至らなかった " けれど " 結婚したいほどの恋愛 " もしてきた…」
なんて気恥かしくなるようで、それでいて嬉しくなるような " 共通点 " も見出せた…
もう傷つきたくない、独りもこわい、でも恋愛もしたい!
さてさて山口さん、あなたは私にとってどんなふうな記憶をくれるの?
つづく