『過干渉にならないようにしよう。』

そう考えたとき、子どもへの関わり方が分からなくなることがあります。

口を出しすぎてはいけない。
本人に任せたほうがいい。
自分で考え、決め、行動する機会を奪わないようにしなければならない。

そうした考えは、子どもの自立を願う親にとって大切な視点です。

けれど口を出さないことが、いつも子どものためになるとは限りません。
本人に任せることが適切な場面もあれば、親が手を貸したほうがよい場面もあります。

子どもの意思を尊重したいと思っていても、その選択には賛成できないことがある。
信頼して任せたいと思っていても、失敗する可能性を前にすると簡単には踏み切れないこともあるでしょう。

過干渉を避けようとするほど、親は別の問いに直面します。

どこまで口を出してよいのか。
どこから本人に任せるべきなのか。
何を尊重し、何を支え、どこまで子どもの力を信頼すればよいのか。

これらは、すべて同じ問いではありません。

子どもの意思を尊重することと、必要な支援をすること。
子どもを信頼することと、結果を心配すること。
それぞれには異なる意味があり、親が判断しなければならないことも異なります。

それにもかかわらず、過干渉にならないことだけを目標にすると、関わらないことが正解になったり、任せること自体が目的になったりします。

しかしその基準だけでは、目の前の子どもに何が必要なのかまでは判断できません。
口を出すことが適切かどうかは、関わったという事実だけで決まるものではないからです。

必要なのは、関わることと関わらないことの間で、ちょうどよい加減を探すことだけではありません。

子どもの意思をどう扱うのか。
必要な支援とは何か。
結果が分からない状況で、子どもの力をどう捉えるのか。

過干渉ではない関わりを考えるためには、こうした異なる判断の軸を持つ必要があります。

過干渉の反対は、放任ではありません。

では子どもの意思を尊重し、必要な支援をしながら、その力を信頼するとは具体的にどういうことなのでしょうか。

今回は、尊重・支援・信頼という三つの視点から、過干渉ではない関わり方を考えていきます。



第1章 子どもの意思を尊重することは、賛成することなのか


思春期になると、子どもは親とは異なる考えを持つようになります。
親がよいと思うものを望まなかったり、親には理解しがたい選択をしたりすることもあります。

子どもの意思を尊重したいと思っていても、その選択に賛成できるとは限りません。
子どもの将来を考えるからこそ、考え直してほしいと思うこともあるでしょう。

では子どもの意思を尊重するためには、親は反対意見を持たないほうがよいのでしょうか。

ここで考えたいのは、尊重と賛成の違いです。

賛成とは、相手の考えや選択を自分もよいと認めることです。
一方、尊重とは、相手が自分とは異なる考えを持っていることを、その違いも含めて扱うことです。
両者は重なることもありますが、必ずしも一致するわけではありません。

たとえば、子どもが進路について親の期待とは異なる希望を口にしたとします。
親がその選択に懸念を持ち、自分の考えを伝えること自体は、尊重に反するわけではありません。

問題になるのは、親の意見を伝えることと、子どもに同じ意見を持たせようとすることを区別できているかどうかです。

親が自分の考えを唯一の正しい結論として扱えば、子どもの考えは親の結論にたどり着くまでの途中経過にされてしまいます。

何を説明しても、最後には親と同じ考えになることを求められるなら、子どもが自分とは異なる意思を持つ余地はありません。

もちろん、子どもの考えに納得できないこともあるでしょう。
理由を聞いても理解できず、反対したいと思うこともあります。

けれど理解できないことと、認められないことは同じではありません。
親が納得できるかどうかと、子どもがその考えを持ってよいかどうかは別の問題です。


尊重とは、親が自分の意見を引っ込め、子どもに合わせることではありません。
親の意見を持ち、必要な懸念を伝えながらも、子どもの意思を自分の意見に従属させないことです。

子どもの意思を尊重するとは、
親が賛成できる考えだけを認めることではなく、賛成できない考えであっても子ども自身の意思として扱うことなのです。




第2章 子どもを支えることは、代わりに担うことなのか


子どもの自立を願う母親にとって、助けることは簡単な判断ではありません。

手を貸せば過干渉になるのではないか。
一方で何もせずにいれば、本人が困ることも分かっている。

自分でできるようになってほしいと思うほど、どこまで支えてよいのか迷うことがあります。

けれど支援を考えるとき、手を出すか出さないかだけで判断することには限界があります。
必要なのは、親が何をしているかだけでなく、その関わりが何を担っているのかを見ることです。

たとえば、子どもが困難に直面しているとき、必要な情報を伝えることと問題を整理する手助けをすること、そして親が代わりに問題を処理することでは支援の性質が異なります。

いずれも子どもを助ける行為ですが、親が担っている役割は同じではありません。

支援には情報を提供すること、状況を整理すること、実際の作業を補うことなどさまざまな形があります。
それぞれが担う役割は異なり、何を補う必要があるのかによって適切な支援も変わります。

支援を考えるうえで重要なのは、親が手を出したかどうかだけではなく、その関わりが目の前の困難に対してどのような役割を果たしているかということです。

もちろん子ども自身では対応できず、親が実際に動かなければならない場面もあります。

だからこそ親が手を出したという事実だけで、過干渉だったかどうかを判断することはできません。

何を補う必要があり、何を親が担うべきなのか。
その場面に応じて、支援の役割を見極めることが求められます。


子どもを支えるとは、手を出す量だけで決められるものではなく、今の状況に対してどのような支援が必要なのかを見極めることなのです。




第3章 子どもを信頼することは、失敗を心配しないことなのか


子どもを信頼したいと思っていても、失敗するのではないかと心配になることがあります。

本人が選んだ道でうまくいかなかったら。
今の判断が、あとになって取り返しのつかない結果につながったら。

先の見えない状況では、子どもの力を信じたい気持ちと、問題が起きる前に何とかしたい気持ちが母親の中に同時に存在します。

だからといって心配すること自体が、子どもを信頼していない証拠になるわけではありません。

子どもを大切に思うからこそ、失敗の可能性が目に入ることもあります。
信頼するために心配をなくそうとすれば、母親は今度は自分の不安まで否定しなければならなくなります。

ここで区別したいのは、子どもを信頼することと、子どもが期待どおりの結果を出すと信じることです。

「この子ならきっとうまくいく」と思えるとき、親は子どもを信頼できているように感じるかもしれません。

しかしその信頼が成功することを条件にしていると、結果が思わしくなかったとき、子どもの力まで疑わしく見えてしまいます。

期待した結果が得られなかったことと、子どもを信頼できるかどうかは、本来同じ問題ではありません。

信頼とは、子どもが必ずうまくできると予測することではないのです。

親には見通せないことがあり、子ども自身も
これから起こることのすべてを分かっているわけではありません。

それでも失敗する可能性があるという理由だけで、本人の判断や力を最初から信用に値しないものとして扱わないことはできます。

もちろん信頼しているからといって、心配を口にしてはいけないわけでも、懸念を伝えてはいけないわけでもありません。

親が懸念を伝えることと、子どもの力や判断を信頼することは矛盾しません。
ただし親の予測を唯一の基準にしてしまえば、予測できないことはすべて危険として扱われることになります。

子どもを信頼するとは、失敗しないと信じ込むことではなく、失敗の可能性があっても、それだけで子どもの力や判断を無効にしないことなのです。



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尊重すること。支えること。信頼すること。

それぞれの意味を切り分けて考えると、過干渉にならないために、ただ関わりを減らせばよいわけではないことが見えてきます。

けれど実際の子育てでは、この三つを別々に考えるだけでは足りません。
子どもの意思を大切にしたい一方で、必要な支援がある。
本人の力を信頼したい一方で、親として伝えておきたいこともある。

では異なる判断が必要になる場面で、何を基準に関わり方を選べばよいのでしょうか。

ここからは、尊重・支援・信頼という三つの視点を整理しながら、過干渉にも放任にも偏らない関係を考えていきます。

https://note.com/hapihapi7/n/nc87b1ee4768e