はじめに
思春期の子どもが気になる。
心配もしている。
それなのに、以前のようには関われない。
そんな自分を見て、
「私は無関心になったのだろうか」
と戸惑う母親は少なくありません。
けれど実際には、
関心が消えているのではなく、別のことが起きています。
今回は、更年期に起きる「関われなさ」を、母親の発達という視点から整理していきます。
第1章 「関われない」と「無関心」は、まったく別の現象である
更年期の時期に起きるいちばん大きな誤解は、
「関わっていないように見えること」と「無関心であること」を同じものとして扱ってしまうことです。
子どもに対して気になっている。
心配もしている。
頭の中ではずっと考えている。
それなのに、実際の行動としては何もできない。
言葉も出ない。
動こうとしても、体がついてこない。
途中で疲れてしまう。
この状態が続くと、多くの母親はこう感じます。
「私はもう、関心を失ってしまったのではないか」
けれどここには、はっきり分けるべき二つの層があります。
ひとつは「心理的な関心」。
もうひとつは「行動としての関与」です。
関心はあるのに、関与ができない。
このズレが起きているだけの状態を、
人はしばしば「無関心」と誤認します。
しかし実際には逆です。
むしろ、関心は残っているのに、
関与のエネルギーだけが落ちている状態です。
ここで重要なのは、
“気持ちの問題”として理解しないことです。
これは意志の弱さでも、愛情の低下でもありません。
もっと生理的で、構造的な変化です。
更年期に起きているのは、
単なる疲労の蓄積ではなく、
「エネルギー配分そのものの再編成」です。
これまでの母親のエネルギーは、
かなりの割合が子どもに向けられていました。
起きているか。
困っていないか。
間違えていないか。
この先どうなるのか。
思考も注意も、ほぼ自動的に子どもへ流れていく構造です。
しかし更年期に入ると、
その“自動的に外へ向かう力”が弱くなっていきます。
正確に言うと、
外へ向けていたエネルギーを維持し続けること自体が、
身体的に負荷になるようになっていく。
すると何が起きるか。
気になっているのに、動けない。
見ていたいのに、見続けられない。
関わりたいのに、途中で止まる。
この「途中で止まる感じ」が、
母親自身には非常に強い違和感として現れます。
だからこそ、誤解が生まれます。
「こんなに動けないなら、私はもう関心がないのではないか」
しかし本質は逆です。
関心の有無ではなく、
関与の持続可能性の問題です。
そしてここで、もうひとつ重要な視点が出てきます。
それは、更年期が単なる“機能低下の時期”ではないということです。
むしろこの変化には、
ある明確な方向性があります。
それは、
「母のエネルギーを子どもへ向け続ける構造を維持できなくする」という方向です。
これは乱暴に聞こえるかもしれませんが、
発達の視点で見ると、かなり重要なポイントです。
もし母親がずっと同じエネルギーで子どもに関与し続けられたとしたら、
子どもは“離れるプロセス”を完了しにくくなります。
つまり更年期に起きている変化は、
母親から子どもを奪うための不調ではなく、
関係の構造を変えるためのブレーキでもあります。
子どもが外へ向かう時期に、
母の側もまた「外へ向け続けることができない状態」に入っていく。
この一致は偶然ではなく、
関係の形を変えるための同期現象として見ることができます。
だから更年期は、
「子どもに関われなくなっていく時期」ではありません。
より正確には、
「子どもへ向け続ける一方向のエネルギー構造が終わる時期」です。
この違いをどう捉えるかで、
母親自身の自己理解は大きく変わっていきます。
無関心になったのではない。
役割が終わったのでもない。
ただ、
エネルギーの向きが維持できない構造に入っただけです。
そしてこの先に、
次の問いが出てきます。
では、その余ったエネルギーはどこへ向かうのか。
◎ここから先は…
更年期になると、多くの母親が
「私は無関心になったのではないか」
という不安を抱えます。
しかし実際に起きているのは、
愛情の消失ではありません。
なぜ思春期の子どもを前にして、
母親だけが「関われなさ」に苦しむのか。
なぜ気になっているのに、
以前のように追い続けられなくなるのか。
そして、その変化は本当に衰えなのでしょうか。
この記事では、
更年期を単なる不調としてではなく、
「母親という役割の再編成」
という視点から整理していきます。
思春期の子育てと更年期が重なる時期に、
多くの母親の中で起きていることを、
できるだけ構造的に言語化していきます。
https://note.com/hapihapi7/n/necf09bdc01bd
