合否を見た瞬間、揺れたのは誰の心だったのか


合否を見たその瞬間、
胸の奥が大きく波打ったのは、
子どもよりも、母のほうだった
その事実に、あなたは気づいているでしょうか。

思わず声が大きくなった。
逆に、言葉を失うほど落ち込んだ。
「よかったね」「残念だったね」という言葉が、
子どもに向けたものなのか、
それとも自分自身に向けたものなのか、
分からなくなるほど感情が前に出てしまった。

多くの母は、こう思います。
「それだけ本気だったから」
「それだけ大切にしてきたから」
「愛情が深かっただけだ」と。

けれど、ここで一度立ち止まって考えてみてください。

その強すぎた喜びや落胆は、
本当に“子どもの結果”だけに反応したものだったでしょうか。

それとも、
自分のこれまでの選択や我慢、
母としてのあり方そのものが、
一気に評価されたような感覚はなかったでしょうか。

受験の合否は、
子どもの進路を示すものであると同時に、
母にとっては、
「私は間違っていなかったのか」
「この関わりでよかったのか」
という問いを、容赦なく突きつけてきます。

だから感情が、先に飛び出す。
だから言葉が、過剰になる。
それは未熟さでも、失敗でもありません。

ただ一つ、
ここで曖昧にしてはいけない問いがあります。

この揺れは、愛なのか。
それとも、評価される側に立たされ続けてきた母の心の反射なのか。


この違いを見誤ると、
母は自分を責め、
子どもは知らないところで
母の感情の重さを背負うことになります。

この章ではまず、
「なぜ、結果が出た瞬間に
母の感情がここまで暴走してしまうのか」
その入り口に立ちます。



母は子どもの結果に反応している、と思っている


多くの母は、自分の反応をこう説明します。
「子どもの結果だから」
「この子の努力を見てきたから」
「子どもの人生がかかっているから」。

たしかに、それは嘘ではありません。
母は本気で、子どもを見てきました。
子どもの不安も、焦りも、弱さも、
一番近くで感じ続けてきたはずです。

けれど、ここにひとつ、
見落とされやすい盲点があります。

結果を見た瞬間、
母の視線は本当に“子ども”だけに
向いていたでしょうか。

その一瞬、心の奥で走ったのは、
「この子はどうなるのか」という問いと同時に、
「私は、間違っていなかったのか」
という問いではなかったでしょうか。


合否は、ただの結果ではありません。
母にとってそれは、
これまで積み重ねてきた判断、
選び取ってきた関わり方、
我慢してきた数えきれない日々に対する
“答え合わせ”として立ち現れます。

だから、喜びすぎる。
だから、落ち込みすぎる。
それは子どもの未来を思う気持ちと、
自分の正しさが証明されるかどうかが、
同じ瞬間に揺さぶられているからです。

母自身は、
「評価されている」とは感じていません。
むしろ、
「ちゃんと支えられただろうか」
「足りなかったのではないか」と、
反省しているつもりでいます。

けれど実際に起きているのは、
反省ではなく、
自己評価の急落、あるいは急上昇です。

子どもの結果を見ながら、
同時に、自分自身の価値を測ってしまう。
この二つが無意識のうちに重なったとき、
母の感情は、
子ども一人分のものではなくなります。


この構造に気づかないままでは、
母は「なぜこんなに揺れるのか」が分からず、
ただ自分を責めることになります。

けれど揺れているのは、
愛情の量ではありません。
視線の向きが、一瞬ずれてしまっただけなのです。


次の章では、
なぜ母の自己評価が、
ここまで結果と結びついてしまうのか。
その心理的な背景を、
ひとつずつ解きほぐしていきます。


成果に依存する母のアイデンティティ



人は本来、
「存在そのもの」と「成果」を分けて評価できる力を持っています。
うまくいったから価値があるのではなく、
うまくいかなくても、価値は揺らがない。
それが、安定した自己評価の状態です。


ところが、多くの母は、
この二つを切り分ける訓練を、十分に受けてきていません。

幼い頃から、
・ちゃんとできたら褒められる
・期待に応えたら安心される
・結果を出せば認められる
そうした経験を積み重ねてきた場合、
人は少しずつ、
「できた私=価値がある私」
という感覚を身につけていきます。

心理学ではこれを、
条件付き自己肯定感と呼びます。

これは怠けている人の話ではありません。
むしろ、真面目で、責任感が強く、
期待に応え続けてきた人ほど、
この傾向を持ちやすい。

母になったあと、
この自己評価の癖は、
「成果」を自分ではなく
子どもに預ける形で続いていきます。


子どもが頑張った。
子どもが結果を出した。
その瞬間、心の奥で
「よかった、私は間違っていなかった」
という安堵が走る。

逆に、思うような結果が出なかったとき、
母の自己評価は、
自分でも驚くほど大きく揺らぎます。

それは、子どもの失敗を
自分の失敗だと勘違いしているからではありません。
「結果によって自分の価値が決まる」
という古い回路が、
無意識に作動しているだけなのです。



◎ここから先は

もし、合否を見た瞬間に
子ども以上に心が揺れたのだとしたら、
それは“感情的だったから”ではありません。

そこには、
母が一人では抱えきれない構造がありました。

ここから先は、
なぜ母がその位置に立たされてきたのかを、
家族という単位で見ていきます。


https://note.com/hapihapi7/n/n093b09cc170c