【思春期】「ちゃんとしてきた母」ほど、立ち尽くす── 正しさが通用しなくなるとき、何が起きているのか
1.母がこれほど苦しくなる理由
なぜ、こんなにも子どもに腹が立つのか
思春期の子どもに向き合う中で、
母の中には、説明のつかない感情が次々と立ち上がります。
苛立ち。
焦り。
そして、言葉にしきれない不安。
反抗されたからでも、
言うことを聞かないからでもありません。
むしろ、
「それくらいで怒るほどのことだろうか」
「もう少し様子を見てもいいのではないか」
と、頭では分かっていることも多いはずです。
それでも感情は先に動きます。
正したくなる。
止めたくなる。
このままではいけない、と強く感じてしまう。
そして気づけば、
母は自分を責めています。
「私の育て方が悪かったのだろうか」
「ここで間違えたら、取り返しがつかないのではないか」
こうした自責は、
母が真剣に向き合っている証でもあります。
けれど、ここで一つ、
はっきりさせておきたいことがあります。
母がこれほど苦しくなっている原因は、
子どもの態度そのものではありません。
問題は、思春期の子どもが見せる姿が、
母自身の内側にある
「触れずに生きてきた前提」を
容赦なく揺さぶってくる点にあります。
だからこそ、ただ注意すれば解決する話でも、
我慢すれば収まる問題でもないのです。
ここから先で扱うのは、
「どう叱るか」でも
「どう距離を取るか」でもありません。
母が、
なぜこの時期にこれほど追い詰められるのか。
その構造を、
感情ではなく視点として整理していきます。
2.母が“常識”だと信じてきたもの
それは価値観ではなく、生き延びるための前提だった
母が子育ての中で
「当たり前」だと感じている考え方は、
意外なほど多くあります。
親は導く存在であること。
感情は抑え、コントロールすべきものだということ。
正しく振る舞えば、人は守られるということ。
これらは、
母自身がじっくり選び取ってきた
価値観のように見えるかもしれません。
けれど多くの場合、
それは「選択」ではありませんでした。
そう考えなければ、
そう振る舞えなければ、
安心してそこにいられなかった。
その環境の中で、母は自然と
「正しさ」を身につけ、
「感情を抑える術」を覚え、
「期待に応える自分」を完成させてきました。
それは思想ではなく、
生き延びるための前提条件です。
この前提は、
疑う余地のない常識として
母の内側に根を下ろします。
だから、親は導くべきだと思っている。
感情に流されるのは未熟だと感じている。
正しくあれば、関係は壊れないと信じている。
それらは信念というより、
世界を安全に生きるための地図でした。
ここで重要なのは、
その地図が「間違っていた」と言いたいわけではない、という点です。
その地図があったからこそ、
母は子ども時代をやり過ごし、
社会に適応し、役割を果たしてこられた。
母は、知らないうちに強くなったのではありません。
知らないうちに、そうならざるを得なかっただけです。
思春期の子どもが苦しく感じられるのは、
その地図を使っても、
もう現在地が示せなくなっているから。
母が感じている違和感は、
「自分が間違っている」というサインではありません。
これまで握ってきた前提が、
今の関係性では機能しなくなり始めているという、極めて現実的な合図です。
この章で見てきたのは、
母の考え方の良し悪しではありません。
母が、
どんな前提の中で生き延びてきたのか。
その輪郭を、ようやく言葉にしただけです。
3.条件付き愛と内在化された評価軸
愛される条件は、思考になる前に身体に刻まれる
母が抱いている
「ちゃんとしていなければならない」という感覚は、考えて選んだ価値観ではありません。
多くの場合、それは判断するより先に、
身体が覚えてしまった前提です。
発達心理学では、
子どもは愛され方を通して
「世界はどういう場所か」を学ぶとされます。
条件付き承認の環境では、
世界はこう定義されます。
正しくいれば、安全。
感情を出せば、関係が揺らぐ。
この定義は、
言葉として教えられるよりも前に、
空気、表情、沈黙によって伝えられます。
怒鳴られなくても、
否定されなくても、
親の不機嫌や距離の取り方は、
十分なメッセージになります。
子どもはそこで、
「どう感じるか」よりも
「どう振る舞えばいいか」を
優先するようになります。
重要なのは、
この適応が無意識で起こるという点です。
子どもは「いい子でいよう」と
戦略的に考えているわけではありません。
愛が遠のく感覚を避けるために、
自然と、そうならざるを得なかった。
やがてこの前提は、
価値観として意識される前に、
自己そのものと融合していきます。
・感情を抑えられる自分がまとも
・理屈が通る自分が大人
・迷惑をかけない自分が正しい
これらは意見ではありません。
自己評価の軸です。
だから母は、
「ちゃんとしない人」を見ると、
不快になる前に、危険を感じます。
それは好悪の感情ではなく、
長年使ってきた
安全センサーが反応している状態です。
ここで起きているのは、
人格の歪みではありません。
条件付きの環境で生き延びるために、
最も洗練された形で身につけた
適応の完成形です。
母が思春期の子どもに対して
「どうしてそんな態度が取れるのか」
と感じるとき、
その裏には、
「そんな振る舞いは許されなかった世界」
で育った記憶が、まだ息をしている。
母の中にある「正しさ」は、
信念ではなく、生存の記録です。
そう捉えた瞬間、母は初めて、
自分の価値観と距離を取ることができます。
これは、
自分を否定する作業ではありません。
自分の中に入り込んでいた
時代と環境を、ようやく外に出す作業です。
4.家族力動と「正しさ」が果たした役割
正しさは、不安を下げるための装置だった
家族という小さな共同体の中では、
「誰が何を担うか」「どう振る舞えば安全か」が、
言葉にならないまま共有されていきます。
そこにあったのは、
自由な選択というより、
混乱を起こさないための秩序でした。
正しさ。
常識。
世間体。
それらは理念ではなく、
家族の不安を下げるために機能していた“装置”だったのです。
・波風を立てない人
・空気を読める人
・感情よりも正論を優先できる人
そう振る舞うことで、
家庭は保たれ、関係は壊れずに済んだ。
つまり「正しさ」は、
誰かを縛るためではなく、
壊れやすい関係を必死に支える役割を担っていました。
ここで重要なのは、
あなたがそれを信じたのではなく、
その中で生きるしかなかったという点です。
だから今、
思春期の子どもが理屈を外し、
感情を前面に出し、
常識の枠からはみ出してくるとき。
母の内側では、
過去に最も機能していた装置が
無意識に起動します。
「正せば、戻る」
「ちゃんとさせれば、安心できる」
不安が高まるほど、
人は“かつてうまくいった方法”に戻る。
これは心理学でいう「退行」と呼ばれる自然な反応です。
思春期がきついのは、
子どもの態度が反抗的だからではありません。
その時期が、
家族の秩序を支えてきた前提を
根こそぎ揺さぶる局面だからです。
子どもは成長の過程で、
「役割」から外れ始めます。
それまで成立していた家族力動が、
通用しなくなる。
すると母は、
自分でも気づかないうちに問われます。
正しさが通じない世界で、
私はどう立てばいいのか。
ここで起きているのは、
親としての失敗ではありません。
あなたが、
かつて家族を支えるために身につけた「正しさ」が、今は役割を終えつつある、という構造の変化です。
だからこそ、
正そうとしてしまう自分を責める必要はありません。
それは、
長い時間をかけて
家族の不安を引き受けてきた人ほど
起こしてしまう反応なのです。
この理解に立ったとき、
「またやってしまった」という自己嫌悪は、
静かに形を変え始めます。
それは失敗ではなく、
役割の移行期に立っているサインだからです。
続きます…
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