子育てとは、親が『どう生きるか』を問われ続ける時間──「育てる」から「生きる」へ
子育ては「子どもをどう育てるか」に見えて、
実は「親がどう生きるか」の連続です。
叱ることも、見守ることも、
時に言葉を飲み込むことも。
それはすべて、“自分という生き方”を問われる瞬間の連続です。
多くの母親が、子どもの成長に合わせて悩みます。
「どうすればこの子の力を伸ばせるのか」
「反抗期の今、どう向き合えばいいのか」
けれどその問いの奥には、
「私はどう在りたいのか」という、
もっと根源的な葛藤が潜んでいるのです。
心理学では親子関係を“鏡関係”と呼びます。
子どもは親の価値観を映し出し、
親は子どもの姿を通して、自分の生き方を映し返されます。
つまり子どもの「あり方」は、
親の「生き方」を可視化する存在なのです。
「育て方」に迷うのは、“生き方”が揺らいでいるサイン
「この子のために、ちゃんとした母でありたい」
そう願うのは、深い愛情の証です。
けれどその“ちゃんと”が、知らぬ間に自分を縛ってしまうことがあります。
「ちゃんと」という言葉の裏には、
「そうでなければ愛されないかもしれない」という、幼い頃からの不安が眠っていることが多いのです。
アドラー心理学では、私たちの行動はすべて“所属欲求”に基づくとされています。
「誰かの役に立ちたい」
「必要とされたい」
その願いが時に「良い母であらねば」という形で表れる。
だから子どもを育てるという営みは、
同時に“自分がどう存在するか”を確かめる行為でもあるのです。
しかしここにひとつの落とし穴があります。
「子どもの成果=自分の価値」と無意識に結びつけてしまうと、子どもは親の承認欲求を背負わされ、親は子どもの成長に一喜一憂し、
双方が「他者の期待」に生きるようになります。
本来子どもは「親の理想を叶える存在」ではなく、「親に変化を促す存在」です。
子どもが言葉を覚え、反抗し、離れていくたびに、親は“生き方のアップデート”を迫られる。
「こうあるべき」という古い価値観を一枚ずつ脱ぎ捨てながら、“どう生きるか”を再び問われるのです。
家族力動の観点から見ると、親が自分の内面に目を向けることこそが、家族全体のバランスを整える第一歩です。
なぜなら子どもの不安定さは、しばしば“親の未完了課題”を映し出すからです。
たとえば「失敗を怖がる子ども」は、
「完璧でなければ愛されない」と信じている母の姿を映していることがある。
「怒りっぽい子ども」は、
「自分の感情を押し殺してきた母」の代弁者であることも少なくありません。
子どもの行動に“原因”を求めるのではなく、
そこに“自分の心の影”を見つめること。
そこからしか本当の意味での“育ち合い”は始まりません。
子育てとは、子どもを通して「自分の未完の部分」を癒しながら、“生き方”を再構築していくプロセスです。
◎この続きはnoteで
気づけば「子どものために」と言いながら、
自分の感情や本音を置き去りにしてきた。
そんな母親がどれほど多いでしょうか。
子どもをどう育てるかを考えるとき、
本当はいつも「自分をどう生きるか」というテーマと向き合っています。
それは子どもの課題を見つめるようでいて、
実は“母の生き方”を問う鏡でもあるのです。
この先では、心理学の理論をもとに
「母が自分を生きる」とは何を意味するのか、
そしてそれがなぜ、子どもの自立と安心を同時に育てるのかを紐解いていきます。
誰かの母である前に、ひとりの人として。
あなた自身の“生き方”から、子育てを見つめ直してみませんか。
https://note.com/hapihapi7/n/n8114dfcfb9d1
