【更年期×思春期】母親の喪失感と違和感の正体
― 子育ての「手放し」と新しい自由の見つけ方 ―
子どもが思春期を迎える頃、母親は同時に「更年期」というもうひとつの通過点に立たされます。
それはホルモンの変化という生理的現象を超えた、アイデンティティの再編の時期です。
「母である自分」と「ひとりの人間としての自分」が静かに分離を始め、
これまで確かだったはずの“私”が少しずつ輪郭を失っていく。
朝起きても、なんとなく空虚。
子どもに声をかけても、距離を取られる。
ふとした瞬間に、「私は今、誰のために生きているのだろう」と、胸の奥が冷たく沈むような感覚に襲われる。
それは決して異常ではありません。
心理学的には、この時期の母親は「役割喪失」と「自己再構築」という二つの大きな心理課題の狭間に立っています。
思春期の子どもが「依存」から「自立」に向かうように、母親もまた「他者中心の生き方」から「自己中心(セルフセンタリング)」へと静かにシフトしていく必要があるのです。
この揺らぎと痛みの正体を知ることが、
母としての人生を終えることではなく――
“自分として生き直す”ためのはじまりなのです。
母親に訪れる更年期と思春期の重なりと喪失感
人生のある時期、母親として漠然とした違和感や、言いようのない喪失感に襲われることがあります。
それはまるで、これまで自分が立っていた地面が少しずつ形を変えていくような感覚かもしれません。
単なる加齢による変化ではなく、人生の大きな転換期を迎えたサインです。
この時期に多くの母親が経験するのは、更年期という身体的な変化と、思春期を迎えた子どもの精神的な変化が同時に訪れるという複雑な状況です。
この二つの時期が重なることは、一見すると不幸な偶然のように思えますが、実は偶然ではありません。
互いがそれぞれの人生のフェーズを移行するために必要な「手放し」の時期であり、必然的な連鎖であると言えます。
なぜ母親は更年期に違和感や喪失感を抱くのか
なぜ母親はこのような違和感や喪失感を強く抱いてしまうのでしょうか。
その背景には、閉経と更年期という身体的変化、そして子どもの成長という心理的変化、この二つの波が同時に押し寄せてくるという事実があります。
これまで当たり前だった「母親」という役割は、子どもの自立とともに少しずつその重みを失っていきます。
これは解放であると同時に、自分が何者なのかを見失うような不安や戸惑いをもたらします。
「自分はもう誰かのためだけに生きているわけではない」と気づいた瞬間、これまで背負ってきた責任や無意識に握りしめていた「正義」が、実は自分自身を縛り付けていた鎖であったことに気づいてしまうのです。
「こうあるべき母親像」に縛られ、自分を犠牲にしてきた過去を直視する時、胸に走る苦しさは避けられません。
しかしそれは決して悪いものではありません。
むしろ人生の岐路に立っている証拠であり、これからは自分の人生を「選ぶ」時期に来たことを知らせる合図なのです。
「無意識に握りしめていた正義」と母親像の崩壊
多くの母親は子どもや家族のため、そして社会や親から刷り込まれた「正しい」価値観のために、無意識のうちに多くのものを背負い込んできました。
早朝から家族の食事を用意したり、夜遅くまで家事をこなしたりする日常。
あるいは子どもの成績や友人関係に一喜一憂し、常に先回りして道を整えてきたかもしれません。
しかしその「正義」は、子どもが思春期を迎え、自分の意見を持ち始めることで揺らぎ始めます。
「なんでそんなことするの?」
「お母さんの考えは違う」
という、子どもからの予期せぬ言葉に心は深く傷つきます。
これまで正しいと信じてきたことが、実は子どもを縛り付けていた鎖であったと気づく時、大きな絶望感に襲われるのです。
ここで大切なのは、その「正義」を否定することではありません。
ただ、それがもはや必要ない時代に来たことを受け入れることです。
手放すことの痛みと自由への第一歩
手放すことは痛みを伴います。
長年握りしめていたものを、自分の意思で緩めることだからです。
子どもへの過干渉、完璧な母親であろうとするプレッシャー、あるいは「子どものために」と諦めてきた自分の夢。
それらを手放すことは、まるで自分が裸にされるような不安を感じさせるかもしれません。
しかしその痛みの先には大きな自由があります。
これまで煩わしいと感じていたものが、少し離れたところから冷静に俯瞰できるようになり、本当に自分にとって必要なものとそうでないものを見分ける力がついてきます。
それは、自分自身を大切にするための第一歩です。
思春期の子どもが経験する「親からの手放し」
この時期、思春期の子どももまた母親と同じように、外と内、両方で大きな変化を経験しています。
外の世界では親に依存した生活から自立し、自分の世界を広げ始めます。
これは「親の庇護」を手放し、自分の足で社会に出ていくための準備期間です。
友人関係が親よりも重要になり、親から距離を置こうとする行動は自立のサインであると言えます。
一方、内面では子ども時代の無邪気さや、親の言うことがすべてだったという価値観を手放します。
自分のアイデンティティを確立しようと、親や社会に対して反発したり、自分の意見を持つようになるのです。
これは「子どもらしさ」を手放し、一人の人間として自分を確立する時期です。
更年期と思春期に交差する「世代間の手放し」
母親の更年期と子どもの思春期が重なることは、互いがそれぞれの人生のフェーズを歩み始めるための大切な「手放し」の時期です。
✅母親は子どもを「自分の延長」として見ることを手放し、一人の人間として尊重することを学びます。
✅子どもは親を「完璧な存在」として見ることを手放し、親もまた一人の人間であることを理解し始めます。
この時期は衝突や摩擦が絶えないかもしれません。
しかしそれは決して互いを傷つけ合うためではありません。
むしろ互いがより強く、そして自立した存在になるための成長痛なのです。
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ここまでで見てきたように、更年期と子どもの思春期は、母と子がそれぞれの人生を「自分の足で歩き始める」ための転換点です。
けれどその移行の最中で、私たちの内側から突如としてあふれ出す感情があります。
それは、子どもや夫に対する不満のようでいて、実はもっと奥深い“過去の自分”からの声です。
なぜ、あのときあんなに我慢したのか。
なぜ、母親であることにこんなにも縛られてしまったのか。
ここから先では、母親が人生の節目で直面する「過去の感情」と「母親像の崩壊」を丁寧にひもときます。
それは苦しくも、確かに“自由”へと向かう道のはじまりです。
https://note.com/hapihapi7/n/n261a33d6cc6e
