思春期の子育て期に、母親が「自分のためにする努力」が大切な理由
母が“自分のために”生きることが、子どもの未来を照らす
子どもの未来を思うあまり、自分を失っていないか?
思春期に入った子どもを育てる母親にとって、日々の努力は尽きることがありません。
「子どものために」朝から晩まで奔走し、学習のサポートや部活動の送り迎え、進路への情報収集にエネルギーを注ぐ。
けれど、その努力は本当に“自分の意思”から出たものでしょうか。
母親の努力の多くは「他人軸」に巻き取られていきます。
子どものため、家族のため、周囲から“いい母親”と思われるため。
そのどれもが社会的には称賛されますが、やがて母自身の内側を空洞化させていく危うさをはらんでいるのです。
他人軸で努力し続ける母親の罠
母親という役割は、周囲からの期待と評価にとても強くさらされます。
「子どもを優先するのが当然」
「家庭を整えるのが母の役目」
「自己犠牲が愛情の証」
こうした刷り込みは、性差による社会的な役割分担とも結びつき、母親の自己像を縛り上げます。
✅ 家族に嫌われないように、常に機嫌を取る
✅ 子どもに認められるように、正解の親を演じる
このとき母親はすでに「自分の感情や欲求」を押し殺し、他者の視線に最適化された努力を続けているのです。
そして困ったことに、この努力は一見すると「よい母親」として評価されやすい。
学校の先生からも親戚からも、社会からも賞賛されるでしょう。
けれどその代償として、母自身は「自分の人生を生きているのか?」「私は本当にこうしたかったのか?」という問いに答えられなくなっていくのです。
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「自分のための努力」が難しいのはなぜか?
母親が「自分のために努力する」ことは、とても難しいと感じられるかもしれません。
理由はシンプルです。
“自分のための努力”には、逃げ場がないからです。
子どものため、夫のため、仕事のため、
誰かを理由にした努力ならば、うまくいかなくても「仕方がない」と言い訳できます。
けれど「自分が望んだから」「自分のために選んだから」と決めた努力が失敗したとき、その責任はすべて自分に返ってくる。
このときに味わう痛みと孤独は、他人軸の努力では経験しないものです。
だからこそ、多くの母親は「自分のため」の努力を後回しにしてしまうのです。
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それでも、自分の努力を自分に向ける意味
とはいえ、母親が「自分のための努力」を避け続けると、子どもにとっても重大な影響があります。
子どもは親の生き方を映し鏡のように見ています。
母親が“誰かのために”努力する姿ばかりを見て育てば、子どももまた「他人の期待に応えることでしか生きられない」という枠組みを内面化してしまうのです。
反対に母親が自分の興味や学び、自分自身の心身の健康のために努力する姿を見せることは、子どもにとって「自分の人生を生きるモデル」になります。
努力とは本来、「自分の価値を自分の手で証明していく行為」です。
母親がその姿を生きているとき、思春期の子どもは「自分のために生きていい」という勇気を学ぶのです。
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あなたは、誰のために努力していますか?
思春期の子育て期に、母親が「自分のためにする努力」を持つことは、単なるリフレッシュや趣味以上の意味を持ちます。
それは、自分という存在のオーナーシップを取り戻す行為なのです。
誰かの期待に応え続ける努力の果てに待っているのは、空虚さかもしれません。
けれど自分のために選び、自分のために積み重ねる努力の先には、「納得できる母としての私」が確かに育っていきます。
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最後に、ひとつの問いを残します。
いま、あなたが続けている努力は
本当に“あなた自身の未来”につながっていますか?
もしそうでないなら立ち止まることもまた、勇気ある選択です。
「誰かの視線」ではなく、「自分の内側から湧き出す動機」によって始める努力を、今日から少しずつ積み重ねてみませんか。
それはやがて、子どもへの最大のギフトになるのです。
子育ての「悩み」は、表面に見える子どもの態度や出来事だけではありません。
その奥には、心理や家族関係に根ざした“深い構造”があります。
私の記事では、子育てや思春期の親子関係をテーマに、「なぜそう感じるのか?」という視点を軸に、心理学・発達論・家族力動の知見から深く掘り下げて解説しています。
読むたびに、親としての視野が広がり、心が少し軽くなる文章をお届けします。
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