思春期の子育て
「理解できない」ことは、本当に親の失敗なのか
理解の途切れに立ちすくむとき
子どもが思春期に入ると、それまで見えていた心の地図が、急に霧に包まれるような感覚に襲われます。
昨日まで笑って話してくれたことを、今日は何も語らない。
好きだったはずのものが、突然どうでもよくなる。
その変化に、親はしばしば「理解できない」という言葉を突きつけられたように感じます。
そして、その理解の途切れを、自分の子育ての失敗だと結びつけてしまうのです。
1. 「理解できる=愛せている」という錯覚
親は「わかってあげられること」こそが愛情の証だと信じがちです。
幼少期は、子どもの好みも行動パターンも把握しやすく、理解できることが日常でした。
その経験が、「理解できない=愛せていない」に短絡する心理回路を作ります。
しかし、思春期とは、親が完全に理解できない領域を子どもが獲得する時期です。
理解の外側に踏み出すことは、切り離しではなく拡張なのに、
多くの親はそれを「自分が見落としてきたサイン」として解釈してしまうのです。
2. 「管理できる存在」という役割の残像
子どもが小さい頃、親は行動・生活・感情の多くを管理できます。
その名残で、思春期になっても「掌握できること」が正常だと思い込みます。
しかし、管理の対象からパートナー的存在への役割移行を果たせなければ、
「理解できない=役割の喪失=失敗」という認知が生まれます。
本当は、その瞬間こそが「親であること」の形を変える転機なのに。
3. 社会的評価と自己否定の連鎖
「子どもを理解できない親は未熟」
そんな価値観は、明文化されなくても社会に漂っています。
SNSや周囲の会話の中で、子どもとの関係を誇る声ばかりが目に入ると、理解できない自分は劣っているように思えてしまう。
その自己否定は、やがて子どもとの距離をさらに広げ、本来必要のない“修復”を急がせます。
4. 「理解できない」ことは発達の証
思春期の子どもは、親の価値観の枠を超える感情や選択を試します。
それは親にとって未知であり、時に不安を伴うものです。
けれど、それは成長に不可欠な飛躍であり、
理解できないことこそ、成長している証とも言えます。
5. 親に問われるのは「理解」ではなく「承認」
理解できないことを失敗とみなすのは、
親が「正しい理解」を子育てのゴールだと信じてきたからです。
しかし、思春期に必要なのは、理解よりも承認です。
承認とは、「わからないけれど、あなたが選んだ道を尊重する」という態度。
それは放任とは違い、静かで強い支えです。
あなたは何を手放せるか
思春期の親に必要なのは、
「理解できない」という事実を、
「失敗」の証拠ではなく「成長の合図」として受け止め直す視点です。
もしも今、あなたの子どもが遠くに感じられるなら、
それは、あなたが育てた翼で、彼らが新しい空を飛び始めた証ではないでしょうか。
問い
理解し続けることが愛情だと信じてきたあなたは、これからの関係において、何を理解しないまま許せますか?