思春期に「自分のために頑張ること」が大切な理由
その努力は、いったい誰のためのものなのでしょうか?
思春期になると、私たちははじめて、努力の矛先を意識し始めます。
親のため。先生のため。評価のため。期待のため。
他人の眼差しの中で育まれてきた“頑張り”が、ふと、空虚に感じられる瞬間が訪れるのです。
そんなとき、心の奥底でふと浮かんでくる問いがあります。
「これは、自分のためにやっていることなんだろうか?」
この問いに出会うこと。
そして、この問いに真正面から向き合おうとすることこそが、自分という人生の主語を取り戻す第一歩になるのです。
「誰かのため」の努力は、やがて自分を見失わせます
努力は本来、尊いものです。
けれど、「親を喜ばせたい」「怒られたくない」「期待に応えたい」──
そんなふうに他者の基準に沿って努力し続けるうちに、“自分”がどこかへ置き去りになってしまいます。
特に女の子は、幼い頃から「いい子」であることを求められやすく、
その結果、“誰かのために頑張る”という回路が、深く身体に染みついてしまうことがあります。
そしてその回路は、知らず知らずのうちに連鎖していきます。
・思春期:親のために頑張る
・成人後:恋人や上司の期待に応えることに追われる
・母親になったとき:子どものためにすべてを捧げるようになる
・子どもが巣立ったあとは:親の介護のためだけに生きるようになる
……そして、ある日ふと気づくのです。
「いつになったら、私は“私のために”生きられるの?」
この問いが胸に突き刺さったとき、あまりに多くの時間が過ぎていることに愕然とします。
「自分のため」は、利己ではなく、人生の中心線です
“自分のために頑張る”というと、わがままだと思う人もいるかもしれません。
けれど、それは利己的なことではありません。
むしろ、自分という軸を確かにすることこそが、健やかな関係性の出発点になります。
自分が何に心を動かされるのか、
何が嫌で、何が大切で、何を選びたいのか。
そうした感覚をきちんと言葉にできる人は、他人の違いや感情にも誠実に向き合えるようになります。
思春期は、その“自己感覚の原型”をつくる最後のタイミングです。
この時期に、他者の評価を手放し、自分の内なる声に耳を傾けて努力する経験は、
「私は、私の人生を生きている」という確信の芯を、静かに育ててくれます。
“私の人生”を生きる権利は、今ここから始まります
誰かのために頑張ることは、もちろん尊いことです。
でも、その前に――自分のために生きたことがあるか?という問いを、自分に投げかけてみてほしいのです。
思春期に、「私はこれを、自分のためにやってる」と言える経験を一つでも持つことができたなら、
それは将来、他者に自分を明け渡しそうになるときの、最後のセーフティネットになってくれます。
自分をないがしろにしても、誰かが喜んでくれるとは限りません。
むしろ、自分を持っている人こそが、他者を真に大切にできるのです。
だからこそ、今こそ問いかけてみてください。
あなたが今、頑張っていることは、本当に「あなたの人生」の一部でしょうか?
自分のために頑張ることは、
やがて他人の人生をも支える、静かで強い土台になるのです。
◎問い
あなたは、自分の人生を、いつから始めるつもりですか?
そしてそのとき、あなたは“誰のために”生きようとしていますか?