喜多川 泰さんの最新刊
『運転者』です
※本文抜粋※
運が劇的に変わる時、そんな場、というのが人生にはあるんですよ。
それを捕まえられるアンテナがすべての人にあると思ってください。
そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になるんです。
逆に、機嫌が悪いと、アンテナは働かない。
だから、最高の運気がやってきているのに、すべての運が逃げていっちゃうんです。
◆◆◆
運は<いい>か<悪い>で表現するものじゃないんですよ。
<使う><貯める>で表現するものなんです。
◆◆◆
自分の人生にとって何がプラスで何がマイナスかなんて、
それが起こっているときには誰にもわかりませんよ。
どんなことが起こっても、起こったことを、
自分の人生において必要だった大切な経験にしていくこと、
それが<生きる>ってことです。
長い目で見たら、報われない努力なんてありません。
あまりにも短い期間の努力で結果が出ることを
期待しすぎているだけです。
◆◆◆
そこにあなたが生まれ、ほんの百年ばかり生きて死んでいく、
そのときです。
あなたがその物語に登場したときよりも、
少しでも多くの恩恵を残してこの物語を去る。
つまり、あなたが生きたことで、少しプラスになる。
それこそが真のプラス思考じゃないかと思うんです。
※※※
上記、ほんの一部を抜粋しましたが、喜多川さんの文章は
一冊まるまる一字一句漏らさず抜粋したいくらい、表現がステキで、、、、
「運」についても
「プラス思考」についても
こんな風に表現されると、全くイメージが変わります。
「運」は「貯めるもの」であり、貯まったら使える。
≪自分が生きたことで、少しプラスにする。≫
この「少しプラスにする」というところの意味が
人生トータルで使った運よりも貯める運の方が多い生き方をすれば良い。と
そうすることで、立派に今の自分の役割を果たして生きていると言える。と
ただ運を貯める生き方を求めている訳では無く、
禁欲的に生きることを勧めている訳でもない。
運を使うことに罪悪感をもたせるような表現ではないんです。
それはこの本のストーリーにも深く影響していることですが、
現代を生きている私達が、豊かな生活をおくれているのは
私たち子孫の未来のために命をかけるということまでして
たくさんの運を貯めてくださった祖先のお蔭であることにも触れているから。
戦争の時代を生きた人々は
「運」について言い表すならば、恐らく「使う」ことなどなく
一生を終えた方が多かったことでしょう。
未来を生きる子孫のために、、、と
「貯める」だけの人生だったと。
だからこそ、今を生きる私達はその「運」を
たくさんの豊かさという恩恵として受けとることが出来ていると。
でも、
私達の人生は延々と続く物語の一部分であるということを通して
祖先から受け取った「運」も、自分で貯めた「運」も使いつつ
自分の人生のなかで「貯めた運」の方をトータルで「少し」多くする
生き方をしましょうね。。と。
また、
「報われない努力はない」ということについても
自分の努力が、自分だけの結果として現れることを意味している訳では無いと。
戦争で命を落とした方々の努力も
子孫である私達が豊かに暮らせているということへ結びついたのだと考えれば
祖先の努力は報われたことになり、
子供を持つ親であれば、
子供が目標に向かって頑張る姿が
自分を奮い立たせる力になることがあり、
時代をまたいだり、努力した本人の結果として現れないこともあるけれど
報われないことは決して無いのだと。
*****
「運転者」の主人公は45歳の保険営業マン。
妻、中学生の娘、実家には父親はすでに他界し、母親が一人暮らし。
仕事のこと、上司との関係、思春期の子育てのこと、親との関係。
生きていてあらゆること対して、
「どうして自分ばかり、、、」と嘆いたときに現れた一台のタクシー。そして運転手。
運転手との会話を通して、考え方が変わり、捉え方が変わり、行動が変わり、、、そして人生が変わる。
どんなに素晴らしい物語でも
その内容にどれほど感動しても
人が本気で変わろうと思うのは
腑に落ちたとき、
納得できたときではないかと思います。
主人公が運転手の言葉を
ひとつひとつ理解し
その考えに納得していくことで
行動を変え
覚悟を決めて生きていく姿は
自分にとっても
共感できる悩みであったり
苦しみであったり
寄り添えることも多く
身近に感じるとともに
読み進める中で自分の考え方や
物事の捉え方にも広がりを与えてくれます
主人公と同世代の大人はもちろん、
ストーリーはとても読みやすく、分かりやすいものなので
中学生や高校性でも充分に理解し、心に刻めることの多い一冊だと思います。