アルケミスト
再読です




前回読んで感動したものの
内容を曖昧にしか覚えておらず
なぜか「今」
また読みたくなりました



※本文抜粋※

決心するということは、単に始まりにすぎない。
決心するということは、まるで急流に飛び込んで、その時には夢にも思わなかった場所に連れてゆかれるようなものなのだ。


目に見えるものを通して、人間が霊的な教えと神の知恵のすばらしさを理解するために、神はこの世界を作られたのだ。
それが、行動を通して学ぶとわしが言ったことなのだよ。

人は、自分の一番大切な夢を追求するのがこわいのです。
自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。

*****


物語の中で
錬金術師は少年に
自分の心の声をしっかり聞くことを
求めます

それこそが
この旅における学びであり
最も大切なことだと


心の声は
その主が耳を傾けないと
心のほうが声をどんどん小さくしてしまう、、と

心が声を上げることが
その主の迷惑になると感じてしまうから


***



大人になって
今までの生き方を振り返ったとき
自分の気持ちを優先させなかった頃に
後悔を感じることが
少なからず   あります


身近の人の声(意見)に
耳を傾け
その意見を優先したこと

自分の心の声には
耳をふさぎ
気持ちを押し殺したこと


子供の頃は
自分の気持ちの表し方や伝え方が
未熟なゆえに
想いを理解してもらうことができず

親や先生
身近な大人の意見を
受け入れることがありました


そうすると
大人は喜んでくれるから、、


でも
それを繰り返すうちに
伝え方を磨いて自分の気持ちを優先させるより
従うことが「喜ばれること」であり
「正しいこと」であると
意識に刷り込んで成長し


気が付けば
大人になっても
周りの意見を優先させてしまった

なんてことに、、、


大人になり
親になり
やりたいことより
やらねばならぬことで
毎日が過ぎ
ただ忙しいだけに感じる日々にも
きっと
これまでの自分の生き方の本質が
反映されているようで

改めて
自分自身の生き方について
心との向き合い方について
考えるきっかけになりました


***


また親として

まだまだ自分の気持ちに
純粋でストレートな子供たちに
心の声に耳をふさぐような生き方を
させてはいけないな、、、と


気持ちに素直な子供たちの行動が
自分の育ち方と違うとき

ワガママである とか
どうして我慢ができないのか?と
判断してしまうことが
色々な場面で起こってきます


自分が育ってきた過程で
許されなかったこと
我慢してきたこと
親の意見に従ってきたことほど
過去の自分と同じようにできない子供たちに
苛立ちを感じたり
許されてしまう時代背景に嫉妬したり
羨ましく思ったり、、

自分が親である前に
ひとりの人間であることを
痛いほど感じる瞬間でもあります


たとえ親であっても
そのまま
ただ生きているだけでは
生きてきた中で経験したことしか
分からない
経験した世界観でしか測れない

それは
あまりに浅くて
狭い世界だと



その世界観で
わたしの価値観を押し付けてしまうことは


子供たちが
自分の心との繋がりを断つことを
強要することに  なり兼ねず

子供たちが自分の夢に生きることの
妨げにさえ  なり兼ねない


今回のアルケミストもそうですが
息子とは
たくさんの本を共有する中で
「素晴らしい話」だと薦めておきながら

実際には
夢を生きる生き方を妨げるような
接し方になってしまうという矛盾が
起こり得るわけで、、


自分自身がそうであったように
子供たちにとって
まだまだ親の存在は大きく
親の意見は
良くも悪くも「絶対」だと
信じてしまう時期


だからこそ
子供たちが
私にとっての「都合の良い子」になってしまうような環境を作ってはいけない


子供たちが生きる世界
叶えるために魂に刻み込んできた夢は
このアルケミストの物語の通り
自分の心の声が
常にきちんと聞こえて
ちゃんと対話ができていれば
かならず叶うのだから


わたしは
ただただ
その子供たちの見据える未来に
視線を合わせて
伴走できるよう
自分の人生も生きていきたいと
しみじみ感じる一冊でした



それではまた。