人はたくさんの思い込みや
固定観念を抱えて生きています


きっとその多くは
親子関係によって
築きあげられ
無意識に握りしめ
そして
縛られ続けているものでしょう



それらは本来
自分を守るため
親子の関係を円滑にするため
たくさんの愛情を受け取るため に
築き上げたルールでした


しかし
成長に伴い
環境が変わり
世界が広がる中で
その思い込みに苦しみを感じるようになり


やがて
そのひとつひとつに
気付いては手放し
卒業していくことになります


しかし
それでも
すべてがいきなりスッキリするわけでは
ないのですよね


そんなときは
その無意識の思い込みを
『スイッチ』だと想って

自動的に発動するたび
パチン…とオフにすればいいと想うのです


苦しい
辛い……と感じるたびに

作動したスイッチを探し
パチン…とオフにすることへ
意識をむけてみる



*********


わたしが最近見つけた
スイッチについて少し……



『女性として生まれたことを
望まれていなかった』

この自分自身への価値観
そして
両親への罪悪感は
わたしのこれまでの生き方へ
多くの影響を与えてきました


だから

まるで男性になるかのように

そして

そう在るかのように

両親に少しでも認めてもらおうと
頑張り続けてきた……ことまでは

ほぼ

気付いていました



身体を壊したことも
心を見失ったことも

その根底に

『男性のように頑張るから、女性で生まれたことを許して欲しい』 と
強く 深く懇願し


それは

時の経過とともに
無意識に

でも

固く握りしめられた
固定観念になっていたこと


その気持ちに
気付いていました



だからもう

『大丈夫だ』 と想っていました

もう

手放せる
手放せている……と




でも

まだまだこの想いには
さらに根っこがありました



両親が男の子を望んでいたこと

わたしはそれを叶えられなかったこと

このことが
わたしの中で
男女の存在価値に『優劣』を生み出していたのです


男性=優 であり

女性(自分)=劣


この価値観は恐ろしいことに


男性は何をしても
『優れている』存在であり


女性であるわたしは
『優れていない』存在

そして
何をしても

男性には適わない存在
男性のように在ろうと
何をどれだけ頑張っても

そもそもの男性には『適わない存在』であると
『初期設定』 されていたのです



これはわたしにとって
身近な存在の男性

つまり

夫や息子との関係に
大きな影響を及ぼしていました



自分が女性であることを
わたし自身が受け容れず
否定し続ける感情は
『男性』に偏った憧れを抱き

その存在が身近であるほど
(特に両親と関わりを持つことが多いほどに)
より一層
自分が女性であることを否定されるかのような『脅威』を生み出し


自分の存在が責められないよう
身近な男性と張り合うように
また
闘いを挑むように なりました

攻撃は最大の防御 であるかのように…



『男性は優れている』

そして
それだけで両親から愛を注がれる


その分
わたしへの愛が『奪われる』


そう無意識に刺激され
そこに危機感が生まれるため


男性より優位であることを証明し
奪われないよう
守らなければ… と
駆り立てられていたのです



これもそもそも

根底に
『男性=優』『女性=劣』という
思い込みがあったから


夫や息子を
わたしと両親の
『親子関係の延長線上』に位置付け


わたしは彼らに
自分より劣っているところを探し

さらには創り出すことで
自分は『女性だけれども』
男性より優れているのだと
証明しようとし続けていたのです

(証明しなければならない と
自身に課していたのです)



でもやっぱり
どれだけ頑張っても

わたしの中では
どんなことがあっても
『男性は女性より優れている』ので
勝つことも
越えることも出来ない存在


頑張っても 勝てない
この
無限ループだったのです


常に『あら探し』をしては
苛立ち
自分は弱さを見せること
心を許すことを
拒否してきました


夫の優しさは
わたしへの哀れみのように感じ
それを受け取ることは『負け』に等しく


息子のわたしへの愛さえ
男性であるならば
女性に守られるべきではない と
突き放す……


夫や息子に対し
自分が叶えられなかったことを
存在自体で成し遂げている現実に
敗北感を抱き


同時に
両親の愛情を奪い合う存在
つまり
『敵』である と
設定していたのです




夫であり
息子なのに
わたしの意識の奥では
『敵』であり『攻撃対象』である 

そう
インプットされていたのです



だから

この身を守るための防御装置が
勝手に作動し
攻撃体制を整えてしまう


自動的に
そして反射的に押される
『攻撃スイッチ』が
わたしの奥にあったのです



*********



自分は誰から何を奪われまいと
堅くなっているのか


自分は何になることを望まれていると
思い込んでいるのか


そして
そうなれない自分は
誰に対しての罪悪感を感じ
償おうと必死になっているのか



辛い…
苦しい…
羨ましい…


そう感じることの奥に
『頑張らねば』  と
自分に強いる根っこがあります




何も奪われることは ありません


望まれたことに
応えられなくても 価値はなくなりません


罪悪感を感じ
償わなければならないことなど 
何もありません


そもそも
これらのことを果たすための
人生では ありません




これらの思い込みから
卒業するだけで
きっとたくさんのことが変わります


目の前の人を見る目が変わり

在り方を選ぶ基準が変わり

生き方が変わる



望まれている
(と思いこんでいる)
生き方を選ぶのではなく


望む生き方を選ぶ
(能動的であり)

選んで良いことに気付く
(受容する)


いままで背負ってきた
そのすべてを手放しても
大丈夫だと信じられる




そのことが
本来の自分へ戻ることであり
自分らしい在り方への
一歩なのだと想います


*********


奪われないように……と
防御モードでONになっている
スイッチは何ですか?


もし奪われてしまったら
どんなことになるのでしょう?
(その奥で何を恐れているのでしょう?)


その恐れが現実になったとき
あなたの何が変わりますか?
(何が失われますか?)



きっと
そこにあるのは
あなた 『そのもの』でしょう


そこから始めてみませんか?


なにも脚色されていない
ピュアな 『わたし自身』から


大いなる宇宙も 
わたしたちを
そう導いているようです