先日
アフタヌーンティーにて
たくさんの苺を愛でてまいりました

インターコンチネンタルのストロベリーアフタヌーンティ
海を眺めながら堪能……のはずが
やはり
お話に花が咲きすぎましたね(笑)
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ここ最近
『肩の力を抜く』ということを
意識して過ごしているのですが
それは
花が咲くとき
固いつぼみが少しずつ緩むことで
花びらが開いていく……
そんなイメージ
力が緩んで開くとき
そこには『安心感』が生まれるのだと
想うのです
花が開くのは
『その準備が整った』という『自信』であり
『ここで咲いても大丈夫』だという『安心感』
それが人であれば
それまで苦しみながらも
固く握りしめていた
自己否定や罪悪感を
(それは思い込みや価値観など)
手放しても
もう
何も奪われないし
失わない
否定も拒否もされないという『安心感』であり
生き辛さを我慢しながら
守るべきルールなど
もう必要ない自分であることへの
自己信頼=『自信』であると想うのです
そして
この状態こそが
本来戻るべき『ありのまま』であると
想うのです
『安心できる』から
肩の力を抜ける
肩の力を感じることで
安心できない原因が見つかる
どちらも あり なんです
肩の力を抜けないことが
当たり前になり
肩に入っている力に
気付いてあげることさえ出来ない
そんな日々ではないでしょうか?
大きく揺らぐ気持ちは
その『力』の根元が何であるかを示し
身近にいる人へ感じる『敵意』こそ
自身が自身を苦しめているルール
(自身への価値観・自己評価)
そのものです
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今回
咲いた話の花からも
そんな気付きに
たくさん出逢いました

りえさん
いつもありがとうございます♬♬
(気付けば、服の色が前回も今回も同じですね(笑))