みなさん、こんにちは
わたしメンテナンス
ナビゲーター
くば しほこです
なんとなく心のモヤモヤや
身体のだるさを感じ過ごしてた
ここ数週間ですが
みなさま
いかがお過ごしでしょうか?
気温の変化や
なかなか晴れ間の続かない空模様が要因かとも思っていましたが
こちらの宙(そら)模様の影響もあったようで…
ソウルクリエイター ルミナさんの
星読みは
自身を内観するときの
ヒントになることが多く
つい見逃してしまう
心の状態に気付くきっかけになっています
ブログから
一部抜粋します
*******
空間は
さそり座新月のゲートを開き始め、
新しいひかりが空間に満ちています。
10月26日~11月8日は毎年翌年の空間へ
切り変わるタイミング。
古い自分と別れを告げ
今年進化した新しい自分との魂結びの時。
ここまでに相当多くの手放しがあったとは思いますが
さらに今年なかなか手放せなかったものを
手放す時間でもあります。
***中略***
”I transform わたしは、変容する”
そんな象徴を持つさそり座。
大きなからだのオリオンを一針で殺したサソリ。
サソリは「死」を象徴しています。
死というのは
「生」の現象の中のひとつです。
ひとつの終わりの形でもありますね。
死の後は、
「Re-birth」
再び生まれる。
再び、生まれるときというのは
裸(本当の自分)になるようなものです。
赤ちゃんが生まれるとき
裸で生まれるように
ただ、その手のひらを握りしめて。
つかんだものを
手放さないようにする力は
わたしたちに最初に与えられた
生きていくための力でもあり
つかんだものを手放すことは
いつも変容最後の課題のようでもあります。
つかんでは手放し
つかんでは手放す
その繰り返しの中で
わたしたちは
”新しく”なっていきます。
わたしたちは
何度も何度も過去や未来と和解し
握りしめた手をゆるめるのでしょう。
そして、開いたその手のひらには
なにもありません。
結んでは開く。
そのレッスンは
「生きる力」「自分への信頼」をわたしたちに与えます。
それは、本当の強さと呼べるものかもしれません。
今、最後に残っていたものを手放し、
2016年のレッスンを終えた
わたしたちの奥深いところで新しい自分と結ばれ、
あらたな生命の力、信頼が生まれています。
*******
わたしの中では
過去への想いや
今の生き方への執着
未来への不安など
必要に応じて手放してきたと
想っていました
でもここ数週間の
これまでにない重たいモヤモヤは
感情でフツフツと現れる
表面的なものではなく
心の根底にドッカリあった
ある意味『わたし』そのものを
ゴッソリ掘り起こすことへと
繋がっていました
ずっとモヤモヤしていた
ある日
些細なことがきっかけで
旦那さんと口論になったんです
口論になったときの
相手の反応や態度は
お互いもう大体分かっているので
ある程度で収束するのですが
ちょうど娘が
気を引こうと騒ぎ始めて
旦那さんが娘をあやし
話半分の状態になったのが
その時のわたしには許せず
ブッチーーーンッ! と……
結婚して11年
あそこまでブチ切れたのは
初めてかも…と言うほど
吠えました
暴れました
泣きました
叫びました
それは
わたしの心の声でした
自分でも
口から次々出てくる言葉に
驚くほど
たくさんの想いが
出てきました
細かいことは
ほとんど憶えていませんが
それは
『もっとちゃんと話を聞いて欲しい』
『もっと寄り添って欲しい』
『ちゃんとわたしも見て欲しい』
そんな想いたちでした
こんな気持ちを伝えるのは
初めてでした
共働きだったこともあり
お互いに特に愚痴もこぼさず
ずっと自己完結してきました
だから
子どもたちのことも
必要なことしか話してこなかった
日常的な些細な出来事なんかも
話す時間は作らなかった
娘の心臓のこと
親として抱く想いはあったけれど
父親と母親では
その想いの種類が違うから
心の痛みを打ち明けることもなかった
専業主婦になった今
わたしの役割は
家族に合わせて
家族のために出来ることをすることだから
どんなことが大変で
何に苦労を感じているのかなんて
口にするものでも無いと
ふさぎ込んできたんです
でも本当は
『もっとちゃんと話を聞いて欲しい』
『もっと寄り添って欲しい』
『ちゃんとわたしも見て欲しい』
って心は叫んでいたんです
それは
旦那さんに対してだけ ではなく
自分自身に対しても
これらの想いを
わたしはずっと押し殺し
『無かったこと』にしてきたから
ちゃんと認めて
こんな想いがあることを
表現してこなかったから
でもきっと
愚痴を言わない ということも
心の痛みを自己完結する ことも
弱音を吐かない ことも
これまでの
わたしにとっては
必要なことだったんです
ルミナさんは
『手放す』ことを
『自分を守ってきた枠からの解放』とも
表現されるのですが
わたしにとっても
これらの想いは
自分を守るための大切な枠だったんです
でもこの枠(=制限)は
もう
手放すときが来たんです
新しいわたしを
生きるために
『ありのままの自分』について
矢野惣一先生は
『好かれようとしていない自分のこと』と
表現されています
(矢野先生のブログ→☆☆☆)
それは
すっぴんであり
何も取り繕っていない正直な気持ちであり
頼りたい気持ちであり
弱味を包み隠さないことであり
貪欲さ丸出しであり……
これら全てを隠し
キレイなところだけを表現して生きるという姿勢
そうして作り上げてきた
『これが わたし』という
自分への枠や制限は
もう取り払い
解放してあげて良いんです
そうして生まれ変わる
たくさんの枠や制限で守り
愛されること
愛されるための自分を演じ
経験すること
その上で
そんな枠が無くても
愛されることを知っていくこと
そして
誰もが自分と同じように
枠や制限で自分を守り
愛されようと
愛されたいと
辛い想いや
苦しみを抱いてきたことを
理解できるからこそ
自ら愛する人へと変容できる
それは
自分に対しても
人に対しても
美塾塾長の内田裕士さんは
『愛』について
こうおっしゃいます
*********
愛とは
人や何かと向き合う
姿勢、取り組み
愛は感情ではなく、
動詞だったんです
*********
(内田さんのブログ→☆☆☆)
愛されたい自分の気持ちを
自分が分かっているから
愛せるんです
愛して欲しいと渇望している
自分がいることを
ちゃんと受け止め
認めているから
相手の気持ちに寄り添えるんです
自分の気持ちを抑える
枠を取り払い
解放することで
自分との信頼関係を深め
そして愛することへ変容する
その姿勢が
また新たに生きる力になっていく
どんな自分が
ドロドロ出てきても良いんです
サナギから蝶になるためには
一度
グチャグチャになるんです
わたしの
『もっとちゃんと話を聞いて欲しい』
『もっと寄り添って欲しい』
『ちゃんとわたしも見て欲しい』
なんて
ただのワガママで
だだをこねているだけの気持ちも
そんな自分の姿勢で
そして
それを前提に生きてきたからこそ
見えた世界があり
気付けた気持ちがあり
きっとこれから
寄り添えることがある
もし
同じように
モヤモヤ
グチャグチャ
ドロドロになっているかたが
いるならば
まさに
蝶へと変容している
真っ最中ですね
堅く堅く握りしめているもの
握っていたことに気付かないほど
長く長く握りしめ続けてきたものは
『あなたそのもの』と言えるほどのものかも知れません
だからこそ
最後といわれるこのタイミングまで
残っていたのでしょう
それを手放しても
何も無くなりません
ここまでそれと共に生きてきた
経験が残るだけです
そして自らを解放することで
その経験が活きてくる世界が
広がっていくのです
今日もわたしメンテナンス
最後までお読みくださり
ありがとうございます
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わたしメンテナンス
ナビゲーター
くば しほこです
なんとなく心のモヤモヤや
身体のだるさを感じ過ごしてた
ここ数週間ですが
みなさま
いかがお過ごしでしょうか?
気温の変化や
なかなか晴れ間の続かない空模様が要因かとも思っていましたが
こちらの宙(そら)模様の影響もあったようで…
ソウルクリエイター ルミナさんの
星読みは
自身を内観するときの
ヒントになることが多く
つい見逃してしまう
心の状態に気付くきっかけになっています
ブログから
一部抜粋します
*******
空間は
さそり座新月のゲートを開き始め、
新しいひかりが空間に満ちています。
10月26日~11月8日は毎年翌年の空間へ
切り変わるタイミング。
古い自分と別れを告げ
今年進化した新しい自分との魂結びの時。
ここまでに相当多くの手放しがあったとは思いますが
さらに今年なかなか手放せなかったものを
手放す時間でもあります。
***中略***
”I transform わたしは、変容する”
そんな象徴を持つさそり座。
大きなからだのオリオンを一針で殺したサソリ。
サソリは「死」を象徴しています。
死というのは
「生」の現象の中のひとつです。
ひとつの終わりの形でもありますね。
死の後は、
「Re-birth」
再び生まれる。
再び、生まれるときというのは
裸(本当の自分)になるようなものです。
赤ちゃんが生まれるとき
裸で生まれるように
ただ、その手のひらを握りしめて。
つかんだものを
手放さないようにする力は
わたしたちに最初に与えられた
生きていくための力でもあり
つかんだものを手放すことは
いつも変容最後の課題のようでもあります。
つかんでは手放し
つかんでは手放す
その繰り返しの中で
わたしたちは
”新しく”なっていきます。
わたしたちは
何度も何度も過去や未来と和解し
握りしめた手をゆるめるのでしょう。
そして、開いたその手のひらには
なにもありません。
結んでは開く。
そのレッスンは
「生きる力」「自分への信頼」をわたしたちに与えます。
それは、本当の強さと呼べるものかもしれません。
今、最後に残っていたものを手放し、
2016年のレッスンを終えた
わたしたちの奥深いところで新しい自分と結ばれ、
あらたな生命の力、信頼が生まれています。
*******
わたしの中では
過去への想いや
今の生き方への執着
未来への不安など
必要に応じて手放してきたと
想っていました
でもここ数週間の
これまでにない重たいモヤモヤは
感情でフツフツと現れる
表面的なものではなく
心の根底にドッカリあった
ある意味『わたし』そのものを
ゴッソリ掘り起こすことへと
繋がっていました
ずっとモヤモヤしていた
ある日
些細なことがきっかけで
旦那さんと口論になったんです
口論になったときの
相手の反応や態度は
お互いもう大体分かっているので
ある程度で収束するのですが
ちょうど娘が
気を引こうと騒ぎ始めて
旦那さんが娘をあやし
話半分の状態になったのが
その時のわたしには許せず
ブッチーーーンッ! と……
結婚して11年
あそこまでブチ切れたのは
初めてかも…と言うほど
吠えました
暴れました
泣きました
叫びました
それは
わたしの心の声でした
自分でも
口から次々出てくる言葉に
驚くほど
たくさんの想いが
出てきました
細かいことは
ほとんど憶えていませんが
それは
『もっとちゃんと話を聞いて欲しい』
『もっと寄り添って欲しい』
『ちゃんとわたしも見て欲しい』
そんな想いたちでした
こんな気持ちを伝えるのは
初めてでした
共働きだったこともあり
お互いに特に愚痴もこぼさず
ずっと自己完結してきました
だから
子どもたちのことも
必要なことしか話してこなかった
日常的な些細な出来事なんかも
話す時間は作らなかった
娘の心臓のこと
親として抱く想いはあったけれど
父親と母親では
その想いの種類が違うから
心の痛みを打ち明けることもなかった
専業主婦になった今
わたしの役割は
家族に合わせて
家族のために出来ることをすることだから
どんなことが大変で
何に苦労を感じているのかなんて
口にするものでも無いと
ふさぎ込んできたんです
でも本当は
『もっとちゃんと話を聞いて欲しい』
『もっと寄り添って欲しい』
『ちゃんとわたしも見て欲しい』
って心は叫んでいたんです
それは
旦那さんに対してだけ ではなく
自分自身に対しても
これらの想いを
わたしはずっと押し殺し
『無かったこと』にしてきたから
ちゃんと認めて
こんな想いがあることを
表現してこなかったから
でもきっと
愚痴を言わない ということも
心の痛みを自己完結する ことも
弱音を吐かない ことも
これまでの
わたしにとっては
必要なことだったんです
ルミナさんは
『手放す』ことを
『自分を守ってきた枠からの解放』とも
表現されるのですが
わたしにとっても
これらの想いは
自分を守るための大切な枠だったんです
でもこの枠(=制限)は
もう
手放すときが来たんです
新しいわたしを
生きるために
『ありのままの自分』について
矢野惣一先生は
『好かれようとしていない自分のこと』と
表現されています
(矢野先生のブログ→☆☆☆)
それは
すっぴんであり
何も取り繕っていない正直な気持ちであり
頼りたい気持ちであり
弱味を包み隠さないことであり
貪欲さ丸出しであり……
これら全てを隠し
キレイなところだけを表現して生きるという姿勢
そうして作り上げてきた
『これが わたし』という
自分への枠や制限は
もう取り払い
解放してあげて良いんです
そうして生まれ変わる
たくさんの枠や制限で守り
愛されること
愛されるための自分を演じ
経験すること
その上で
そんな枠が無くても
愛されることを知っていくこと
そして
誰もが自分と同じように
枠や制限で自分を守り
愛されようと
愛されたいと
辛い想いや
苦しみを抱いてきたことを
理解できるからこそ
自ら愛する人へと変容できる
それは
自分に対しても
人に対しても
美塾塾長の内田裕士さんは
『愛』について
こうおっしゃいます
*********
愛とは
人や何かと向き合う
姿勢、取り組み
愛は感情ではなく、
動詞だったんです
*********
(内田さんのブログ→☆☆☆)
愛されたい自分の気持ちを
自分が分かっているから
愛せるんです
愛して欲しいと渇望している
自分がいることを
ちゃんと受け止め
認めているから
相手の気持ちに寄り添えるんです
自分の気持ちを抑える
枠を取り払い
解放することで
自分との信頼関係を深め
そして愛することへ変容する
その姿勢が
また新たに生きる力になっていく
どんな自分が
ドロドロ出てきても良いんです
サナギから蝶になるためには
一度
グチャグチャになるんです
わたしの
『もっとちゃんと話を聞いて欲しい』
『もっと寄り添って欲しい』
『ちゃんとわたしも見て欲しい』
なんて
ただのワガママで
だだをこねているだけの気持ちも
そんな自分の姿勢で
そして
それを前提に生きてきたからこそ
見えた世界があり
気付けた気持ちがあり
きっとこれから
寄り添えることがある
もし
同じように
モヤモヤ
グチャグチャ
ドロドロになっているかたが
いるならば
まさに
蝶へと変容している
真っ最中ですね
堅く堅く握りしめているもの
握っていたことに気付かないほど
長く長く握りしめ続けてきたものは
『あなたそのもの』と言えるほどのものかも知れません
だからこそ
最後といわれるこのタイミングまで
残っていたのでしょう
それを手放しても
何も無くなりません
ここまでそれと共に生きてきた
経験が残るだけです
そして自らを解放することで
その経験が活きてくる世界が
広がっていくのです
今日もわたしメンテナンス

最後までお読みくださり
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