先日の
ミソカモウデ
10歳になった息子
と

2歳の娘
と

地元の神社
へ

久しぶりに
ベビーカー無しで
娘の手を握りテクテク
この娘
40歳代(わたしの勝手な推定年齢です)以上のご夫婦とすれ違うと
必ず
『こんにちはー
』って声をかけるんです
頭もちゃんと
ペコッ てしながら
(膝も曲げるから、でんぐり返りしそうで、ちょっと不格好なんですけどね…
)
しかも
自分が気付いたところから
声をかけ始めるので
少し距離があるところで
『こんにちはー
』が始まるんです
顔見知りでもない方々なので
少し距離があったら
まず自分達に声をかけているなんて
思いませんよね
で、娘は
ちゃんとそのご夫婦が
自分に気付いて
返事をしてくれるまでずっと
『こんにちはー
』
『こんにちはー
』
『こんにちはー

』
って繰り返すんです
みなさん良い方々なので
娘が自分達に向かって
声をかけていると分かると
『あらっ!こんにちはー!』って
笑顔でかえしてくださるんです
娘は
私たちの住むマンションで会う方々にも
必ず気付いてもらえるまで
『こんにちはー
』や
『こんばんはー
』を言うのですが
きっと娘にとっては
『みんな知り合い』であり
『会ったら挨拶をするもの』という世界が
出来上がっているんだなぁ……と
顔を知ってる とか 知らない とか
覚えている とか 覚えていない とか
そんな基準は無くて
『みんな知り合い』
そして
『知り合いなんだから会ったら挨拶はするもの』
娘より
長く生きてきたなかで
『挨拶は大切』なぁんて言いながら
『知り合いには』という条件をつけて
狭い世界に生きるようになっていることをハタと感じて……
しかも
自分が考え事をしていたり
急いでいて気付かなかったら
その『知り合い』にすら
挨拶せずにいることも多いよなぁ…
と
***
娘は
『すべてはひとつ』の意味や
どんなときも
『今 ココ』を生きることを
その姿勢でわたしに見せてくれるんです
顔見知りだと
線引きしているのは自分で
それも時と場合によって
分けていたり
お散歩と言えども
『お昼ご飯はどうしようかなぁ?』や
『さっき息子にあんなことで怒ってしまったなぁ』なんて
過去や未来に意識は行ったり来たりして
その時の
木々の彩りや
鳥のさえずりも
ただの背景として通り過ぎてしまう
そんなわたしを
いつも
『今 ココ』に引き戻してくれる
最近 想うんです
家事の効率化や
家計の節約など
時間やお金を
生み出す工夫をしている割には
その生み出したものの
『生きた使い方』が出来ていないなぁ…
って
そもそも
何のために『時短』で効率化するのか?
何のための『時間』を生み出そうと頑張っているのか?
もっと沢山のことを
『こなすため』だけになっているんじゃないか?
…って
本当は
大切にしたいものを大切にするため
丁寧に過ごす時間のため……に
頑張るときもある……だったはず
それが
なんだか
頑張ること『だけ』になっているようで……
『そうじゃないよね?
』
っていうことに
引き戻されて
『そうだよね
』…っていうところに
最近 生きています
今日から11月
年末へ向け
ワサワサしてくる季節ですが
そんなときだからこそ
大切なこと
大切にしたいことを
丁寧に過ごす心を忘れずに
生きたいと想います
ミソカモウデ
10歳になった息子


2歳の娘


地元の神社


(この土地に30年住んでいながら、こちらの御祭神が天照大御神さまだと最近知りました……)
久しぶりに
ベビーカー無しで
娘の手を握りテクテク

この娘
40歳代(わたしの勝手な推定年齢です)以上のご夫婦とすれ違うと
必ず
『こんにちはー

頭もちゃんと
ペコッ てしながら
(膝も曲げるから、でんぐり返りしそうで、ちょっと不格好なんですけどね…

しかも
自分が気付いたところから
声をかけ始めるので
少し距離があるところで
『こんにちはー

顔見知りでもない方々なので
少し距離があったら
まず自分達に声をかけているなんて
思いませんよね
で、娘は
ちゃんとそのご夫婦が
自分に気付いて
返事をしてくれるまでずっと
『こんにちはー

『こんにちはー


『こんにちはー



って繰り返すんです

みなさん良い方々なので
娘が自分達に向かって
声をかけていると分かると
『あらっ!こんにちはー!』って
笑顔でかえしてくださるんです
娘は
私たちの住むマンションで会う方々にも
必ず気付いてもらえるまで
『こんにちはー

『こんばんはー

きっと娘にとっては
『みんな知り合い』であり
『会ったら挨拶をするもの』という世界が
出来上がっているんだなぁ……と
顔を知ってる とか 知らない とか
覚えている とか 覚えていない とか
そんな基準は無くて
『みんな知り合い』
そして
『知り合いなんだから会ったら挨拶はするもの』
娘より
長く生きてきたなかで
『挨拶は大切』なぁんて言いながら
『知り合いには』という条件をつけて
狭い世界に生きるようになっていることをハタと感じて……

しかも
自分が考え事をしていたり
急いでいて気付かなかったら
その『知り合い』にすら
挨拶せずにいることも多いよなぁ…

***
娘は
『すべてはひとつ』の意味や
どんなときも
『今 ココ』を生きることを
その姿勢でわたしに見せてくれるんです
顔見知りだと
線引きしているのは自分で
それも時と場合によって
分けていたり
お散歩と言えども
『お昼ご飯はどうしようかなぁ?』や
『さっき息子にあんなことで怒ってしまったなぁ』なんて
過去や未来に意識は行ったり来たりして
その時の
木々の彩りや
鳥のさえずりも
ただの背景として通り過ぎてしまう
そんなわたしを
いつも
『今 ココ』に引き戻してくれる
最近 想うんです
家事の効率化や
家計の節約など
時間やお金を
生み出す工夫をしている割には
その生み出したものの
『生きた使い方』が出来ていないなぁ…

そもそも
何のために『時短』で効率化するのか?
何のための『時間』を生み出そうと頑張っているのか?
もっと沢山のことを
『こなすため』だけになっているんじゃないか?

…って
本当は
大切にしたいものを大切にするため
丁寧に過ごす時間のため……に
頑張るときもある……だったはず
それが
なんだか
頑張ること『だけ』になっているようで……
『そうじゃないよね?

っていうことに
引き戻されて
『そうだよね

最近 生きています
今日から11月
年末へ向け
ワサワサしてくる季節ですが
そんなときだからこそ
大切なこと
大切にしたいことを
丁寧に過ごす心を忘れずに
生きたいと想います
