【あの頃 自分がどうして欲しかったかを全部思い出すんだ】
先日『バケモノの子』を観ていて
出逢った言葉
怒りっぽく粗野だが
腕っぷしだけは強いクマのバケモノ
熊徹(くまてつ)
その熊徹が
人間の少年を弟子にとる
しかし熊徹は
師匠も家族もなく
独力で強くなってしまったため
上手な教え方がわからず
頭を悩ませます
そんな彼に
仲間がかけた言葉が 冒頭の一文
***
この言葉を聴いて
『子育ても それで良いのかもしれない』
って思ったんです
世の中には
たくさんの素晴らしい子育ての
お手本があります
それを取り入れることも
もちろんアリだと思います
試してみるのは
素晴らしいことだと思います
でも
親としてその通りに出来なかったり
思った反応が返ってこなかったり
『こんな時って どうすれば?』
ということが日常茶飯事
しかも
どうにも心にゆとりがなくなって
切羽詰まったときに限って
自分でもビックリするほど自然に
言葉や態度として出てくるのが
それを言われて
あの時 イヤな想いをしたはずなのに…
心地よくなかったはずなのに……
出てきてしまうんです
そして
後悔するんです
***
知らない 分からない から 調べる
それもアリ
でも
誰かのやり方との比較して
迷ってしまったら
『同じような状況で
あの時の自分は どうしてほしかったのか?』を
ひとつひとつ
全部 思い出し
試してみる方が
やりやすいかもしれない……
そう思ったんです
***
小林正観さんが子育てについて
こんなことを仰っていました
『もっと「子供に向き合え」と言いますけれど、この意見に私は反対です。
向き合え、向き合えって、
甘栗をむいているんじゃないのだから。
親子関係はあまり向き合わないほうが
いいと思います。
一言で言うと、
子供と向き合っているということは、
子供の目の前に立ちふさがっているということです。
立ちふさがって あら探しをしている。
たぶん子供は息苦しくて、
なんとかこと親を どけたいと思っているに違いありません。』
正観さんは
親について
『自分の人生を楽しく生きなさい』と
仰っています
その背中をみて
「なんだか楽しそうだな」と感じ
子供はわき目もふらず追いかけてくると
***
子供の言動に向き合うのではなく
向き合うのは
いつだってやはり自分
親としての責任があるとすれば
それは
『自分がされた』苦しい出来事に対して
その繰り返しを断つ意志を持つこと
***
わたしは
わたしのやることを
他人と比べて『評価』されたくなかった
ただ『興味』を持って欲しかった
『一緒』にやって欲しかった
だから
その気持ちを大切にしようと
思うんです
息子の興味のあることを知ろう
興味を示してみよう
息子と一緒に楽しむことを
見つけていこう
今だから できること
今しか できないこと
『関わり方を変える』
わたしにできることの ひとつです
先日『バケモノの子』を観ていて
出逢った言葉
怒りっぽく粗野だが
腕っぷしだけは強いクマのバケモノ
熊徹(くまてつ)
その熊徹が
人間の少年を弟子にとる
しかし熊徹は
師匠も家族もなく
独力で強くなってしまったため
上手な教え方がわからず
頭を悩ませます
そんな彼に
仲間がかけた言葉が 冒頭の一文
『あの頃
自分がどうして欲しかったかを
全部 思い出すんだ』
***
この言葉を聴いて
『子育ても それで良いのかもしれない』
って思ったんです
世の中には
たくさんの素晴らしい子育ての
お手本があります
それを取り入れることも
もちろんアリだと思います
試してみるのは
素晴らしいことだと思います
でも
親としてその通りに出来なかったり
思った反応が返ってこなかったり
『こんな時って どうすれば?』
ということが日常茶飯事
しかも
どうにも心にゆとりがなくなって
切羽詰まったときに限って
自分でもビックリするほど自然に
言葉や態度として出てくるのが
『自分が どうされたか』
それを言われて
あの時 イヤな想いをしたはずなのに…
心地よくなかったはずなのに……
出てきてしまうんです
そして
後悔するんです
***
知らない 分からない から 調べる
それもアリ
でも
誰かのやり方との比較して
迷ってしまったら
『同じような状況で
あの時の自分は どうしてほしかったのか?』を
ひとつひとつ
全部 思い出し
試してみる方が
やりやすいかもしれない……
そう思ったんです
***
小林正観さんが子育てについて
こんなことを仰っていました
『もっと「子供に向き合え」と言いますけれど、この意見に私は反対です。
向き合え、向き合えって、
甘栗をむいているんじゃないのだから。
親子関係はあまり向き合わないほうが
いいと思います。
一言で言うと、
子供と向き合っているということは、
子供の目の前に立ちふさがっているということです。
立ちふさがって あら探しをしている。
たぶん子供は息苦しくて、
なんとかこと親を どけたいと思っているに違いありません。』
正観さんは
親について
『自分の人生を楽しく生きなさい』と
仰っています
その背中をみて
「なんだか楽しそうだな」と感じ
子供はわき目もふらず追いかけてくると
***
子供の言動に向き合うのではなく
向き合うのは
いつだってやはり自分
親としての責任があるとすれば
それは
『自分がされた』苦しい出来事に対して
その繰り返しを断つ意志を持つこと
***
わたしは
わたしのやることを
他人と比べて『評価』されたくなかった
ただ『興味』を持って欲しかった
『一緒』にやって欲しかった
だから
その気持ちを大切にしようと
思うんです
息子の興味のあることを知ろう
興味を示してみよう
息子と一緒に楽しむことを
見つけていこう
今だから できること
今しか できないこと
『関わり方を変える』
わたしにできることの ひとつです