先日の小林正観さんの本に書かれていた
花粉症
アトピー
卵巣腫瘍
のこと
昨日は
書かせていただきました
・・・
今日は
『卵巣腫瘍とわたし』
について
・・・
まず始めに小林正観さんは
『卵巣腫瘍』について
こう仰っています
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ある病院の副院長を15年ほどしていた方から聞いた話ですが、乳ガン、子宮ガン、卵巣腫瘍になる人たちには、人格上の共通項があるのだそうです。
それは、
「女になんか生まれなければよかった」
「今度生まれるときは
絶対に男に生まれたい」
と言い続け、思い続けてきたということでした。
その結果として、
「そんなに女でありたくないのであれば、
女でなくなりましょう。」
と自らの体が反応し、女性だけが持つ特有の器官を切り取る方向に動くのです。
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ちなみに
わたしは『卵巣のう腫』により
右の卵巣を摘出しました
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『卵巣のう腫』とは…
卵巣にできる腫瘍の中でも、悪性ではないものの総称。
実際は、卵巣にできる腫瘍の90%以上が良性、つまり卵巣のう種に当たります。
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『卵巣のう腫』が見つかったのは
20代後半の頃
(すでに息子は出産していました)
検診で訪れた婦人科で
見つかりました
通常卵巣のサイズは2~3㎝ほど
その当時
わたしの卵巣は6㎝ほどになっていました
でも
基本的にこれは『良性のモノ』なので
急速に肥大化しない限り
『問題なし』ということで
経過観察となりました
それから数年は
特に異常も変化もなく
過ごしていたのですが
今から約2年半ほど前
ちょうど娘の妊娠と同時に
卵巣の大きさに
変化が現れ始めました
初めの妊婦検診で
卵巣のサイズが8㎝を超えており
すぐに
『卵巣摘出』の話が出ました
まだ妊娠4ヶ月
卵巣のサイズも10㎝以下なら
腹腔鏡下(ふくくうきょうか)腫瘍摘出術が
(お腹を切らず、小さな穴をあけて取り除く事が出来るため、負担も軽く、入院も短くすむもの)
可能ということでしたが
わたしは拒否しました
あくまで『経過観察でッ!』と……
ですが妊娠7ヶ月の検診で
それは思わぬ方向へ
きっかけは胎児の
『カラードップラー検査』
お腹の赤ちゃんの心臓を始めとする
各種臓器の細部にわたる構造や微細な血液の流れを捉えることのできる検査
この検査で
娘の心臓の疾患が見つかったのです
そして同時に
わたしの卵巣も10㎝を
超えようとしていました
その結果
地元の産婦人科から
大学病院へと変更することになり
初診のその日に
『来週、手術で卵巣摘出します』と
医師に告げられましたもう、
わたしの意向など関係ナシ
そんなこと言ってられない状況に
突き進んでました
妊娠8ヶ月を目前に控え
胎児はますます大きくなる時期
すでに12㎝ほどまでに肥大した卵巣と
おしくらまんじゅう状態
『下手したら卵巣破裂しますよ』
…と脅され入院
結局
開腹手術にて右の卵巣は摘出されました
(最終的に卵巣は15㎝まで大きくなっていました……)
・
・
・
…と、経緯を遡ると↑こう↑なんですが
正観さんの言葉に戻ると
いつしか私は
「女になんか生まれなければよかった」
と思っていたことになります
では具体的に
いつから?
どうして?……と振り返ると
もうずっと
私自身がそう思っていましたし
生まれる前から両親にも
『女であること』は
望まれていませんでした
先に両親のことから触れると
私は三姉妹の末っ子
しかも上の姉たちとは
それぞれ11歳と9歳離れています
そう、そもそも両親は
私を授かるにあたり
『男の子』が欲しかったのです
それは
私が女であったことで
たびたび両親が喧嘩していたので
知っていたことでした
だからと言って
大事に育てられなかったことは
全くありませんよ
それこそ
姉妹の中では
私だけ私立へ通わせてもらい
大学へも行かせてもらいました
もしかしたらそれは
『男の子だったら』してあげたかったことを
母がただ
叶えていただけなのかも知れないですが
それでもやっぱり
心の中ではずっと
女であることに
訳もなく
しかも無意識に
罪悪感を抱えて生きていました
そしてその気持ちに
拍車を掛けるように
意識的に女であることを
拒否するようになったのは
息子を出産してからのことです
私たち夫婦は結婚して間もなく
とてもありがたいことに
新しい命を授かりました
本当に喜びに満ちていましたが
ちょうど私自身
仕事で念願の配属になり
とてもやる気に満ちていた時期に
重なったことで
妊娠による体調不良と
仕事への意欲がせめぎ合い
私の中で大きな歪みを生み出しました
さらに
産休により
希望の職を手放すことになり
必死に産後半年で復帰しましたが
元の職へ戻るのに
それから3年かかりました
産休に入るとき
本当に『断腸の思い』だった…
だから息子は帝王切開になったのかも…なんて思いがめぐります
いま思えば
フルタイムで働けたのも
元の職へ戻れたのも
家族の支えや
職場の方々の理解
そして協力があったからこそ
叶ったことで
感謝の気持ちしかありませんが
その当時は
子どもの発熱時に早退すること
看病で仕事を休むのが
母親の役割であるということに
生き辛さと憤りしか感じず
強く強く
『男に生まれたかった!』と
感じていました
そんな気持ちを
ガッツリ抱えながら
その後 約6年間
私は仕事に突っ走りました
眠る時間なんか いらない
休日なんか いらない
私は仕事がしたいの!
仕事が出来る人間でありたいの!
男(夫)になんか負けたくないの!
育児で人生奪われたくないのよぉ!!
いま冷静に考えればコレ↑
かなりバチアタリだと分かっていますよ…
それはもう
疲労困憊になって
女であることを責める気持ちを
もみ消すかのごとく
だから
精神も病みました
そして
卵巣も取りました
でも
ありがたいことに
摘出した卵巣は『右だけ』
つまり
『左の卵巣は健在』なんですよ
卵巣摘出の際
担当の先生に こう言われました
『2つある臓器は片方になっても
その機能は失われないんですよ。
だから
右の卵巣を摘出しても
生理はあるし、妊娠もできますから』
そうなんです
女であることを拒否し続けた私ですが
摘出手術という痛い目にあいながらも
結果
女であることから変わらなかったんです
でもこれはその時
お腹にいた『娘の計らい』なのかな?
とも思います
だって娘も『女』ですから
私が女でなくなってしまったら
女であることを否定したまま
関わることになってしまうから
娘をそばで見ていて
息子の時とは違った気持ちを
スゴく抱きます
男の子と女の子の違いは
もちろんですが
仕草のすべてが
愛くるしい
生まれながらにして
一挙手一投足が
『すでに女』なんだなぁ……と
だから
成長のどこかで女であることを
拒否しても
否定しても
抵抗しても
その意志に関わらず
女であることは明らかなんだと
だからもう
無駄な抵抗はやめよう
あきらめよう……と
どんな痛い思いをしても
変わらないんだから
(現に変わらなかったんだから!)
娘は私のそばで
女であることを受け入れて
ともに女の幸せを生きようと
教えてくれているようです
あぁ、やっぱり
子どもに育てられていますね……

こんな風に『女の子って良いでしょ?』って示してくれます