昨日の小林正観さんの本に
のことが書いてありました
私 これ
全部やっていて
当時のこと
当時の気持ち
付随するいろんなことを
思い出しながら
あのときの私に
会いに行きました……
正観さんはアトピーについて
こう仰っています
モノゴコロついた頃から
身体にアトピーがあり
顔や頭皮まで
症状が酷くなった高校時代には
入院もしました
ずっと
食べ物が合わないんだ…とか
ハウスダストが……とか
そんなことばかりに
原因を求め
対処してきました
高校時代に入院した大学病院で
アトピーがどんな風に進行してきたか?
ということと
その当時の家族の出来事を
聞かれたことがありました
私のアトピーにも
酷い時期と
そうでもない時期があり
酷い時期には
必ず家庭内で
ちょっとしたゴタゴタがありました
だから私は話をしていて
……そう思ったんです
家庭内のゴタゴタは
姉たちに関することが多く
特に母親がキリキリしている時期でした
だからこそ
私は母親にとっての『良い子』に
なりたかったし
そう努めていたうえで
それでも私に関心が薄いから
アトピーを酷くして
手を掛けさせようとしているんだと
思っていたんです
でも正観さんの言葉に当てはめると
それは全く逆で
『母親が私を強力に支配したがっていた』
ということになるのでしょう
問題ばかり起こす姉たち
(時に父も)に嫌気がさし
せめて私だけは支配下に置きたい……と
なんだか
『うあぁぁ~、そういうことかぁ、、』
としか言葉になりませんでした
そんな視点で当時を振り返ると
いろいろツジツマが合うなぁ……と
青春ど真ん中の高校時代に
いちばん苦しんだアトピー
顔中がタダレて
腫れ上がり
(だから高校時代の写真はありません
ちょうどプリクラとか流行っていましたが、横目で見るだけ…ホント切なかった)
電車に乗れば
たまたま乗り合わせた小学生に
指を指されて気持ち悪がられ
(窓の外を眺めて、聞こえないフリするのが精一杯だったなぁ……涙)
買い物に行けば
心無いおばさんに
『あらっ、ヒドい顔ねー!』と言われ
心もズタズタでした
気が狂いそうな痒さで
夜も眠れず
風があたるだけで
震え上がるほど顔がヒリヒリした
辛い日々を
嫌と言うほど思い出すけれど
(痛いのと恥ずかしいので、ホンキで『仮面』を被って生活したかった……)
その原因に当てはまるのが
母親だったとしても
恨む気持ちも
悔しく思う気持ちもありません
だって私が
アトピーから卒業できたのは
母のおかげなんですから
皮膚を掻きむしって
血まみれになった布団のシーツを
毎日清潔にしてくれたのは母
食事に気を使ってくれたのも母
入院中も
毎日欠かさず
綺麗な着替えを持って
お見舞いに着てくれたのも母
ずっと寄り添い
支えてくれたのは母でした
そして何より
今だから
分かるんです
あの頃の
『母の気持ち』
私も母親になったから
母があの時
どれだけ胸を痛めていたか
どんな思いで
私と過ごす日々を
あんなにも気丈に振る舞っていたか
どんなに大切でも
どんなに想っていても
代わってあげられない苦しみ
願っても
祈っても
変わらない現状
「私がこんな身体に産んでしまったから」
なんて想うことも
きっとあったはずです
それでも
いつも前向きに
良くなることだけ考えて
治すことだけに向き合い続けてくれました
アトピーを卒業した方法は
十数年使っていた薬を
すべて止めるというものでした
だから
副作用やら反動やらが
一気に吹き出して
自分の治癒力が戻るまで
約3年間
地獄のような日々でした
(というか、『地獄の日々』でした)
でも
本来の力を取り戻す
取り戻せると信じて過ごした日々が
きっと母との関係を変え
アトピーも卒業できたのだと
思います
だからもう
あの日々にも
母にも
すべて
『ありがとう』なんですよ
ちなみに、
以前ご紹介した
その名は、バシャールの中で
さとうみうろうさんは
という話をされていました
専門的に詳しく言うと
『対生成』という現象で、素粒子物理学では空間から常に2つの粒子がペアで
”ポコッと”生まれること。
この2つの粒子はお互いに電荷が違う反ペアで生まれて、お互いに引き合い、
お互いに『対消滅』という衝突をして消える。というもの。
この本の中では
『引き寄せ』の法則の説明として
あげられていたのですが
……とすると
どちらが先で……という話ではなく
きっと『同時』に発生したことに
なるんですよね
こうなったらもう
『何が良い』 とか
『誰が悪い』 とか
そんな話じゃなくて
『成る可くして成った』
なのかな?と……
その上で
『経験したこと』
『感じたこと』
『学んだこと』に
これからの生き方を見出せば
私にとって
本当の意味での
『乗り越えた経験』になる
きっと
それがいちばん大切なこと
なんです

花粉症
アトピー
卵巣腫瘍
のことが書いてありました
私 これ
全部やっていて
当時のこと
当時の気持ち
付随するいろんなことを
思い出しながら
あのときの私に
会いに行きました……
今日は
『アトピー』と私
について
正観さんはアトピーについて
こう仰っています
アトピーの人たちには、
その人を強力に支配したがる人が
存在する、という共通項があるんです。
とにかくその人をコントロールしたいと
思っている人がいるということです。
その人が支配を強めるほど、
その人はアトピーがひどくなります。
正直
びっくり仰天!でした……
モノゴコロついた頃から
身体にアトピーがあり
顔や頭皮まで
症状が酷くなった高校時代には
入院もしました
ずっと
食べ物が合わないんだ…とか
ハウスダストが……とか
そんなことばかりに
原因を求め
対処してきました
それが
『強力に支配したがる人』
によるものだったとは……
高校時代に入院した大学病院で
アトピーがどんな風に進行してきたか?
ということと
その当時の家族の出来事を
聞かれたことがありました
私のアトピーにも
酷い時期と
そうでもない時期があり
酷い時期には
必ず家庭内で
ちょっとしたゴタゴタがありました
だから私は話をしていて
『私が両親の気を引きたくて
アトピーを酷くさせている』
……そう思ったんです
家庭内のゴタゴタは
姉たちに関することが多く
特に母親がキリキリしている時期でした
だからこそ
私は母親にとっての『良い子』に
なりたかったし
そう努めていたうえで
それでも私に関心が薄いから
アトピーを酷くして
手を掛けさせようとしているんだと
思っていたんです
でも正観さんの言葉に当てはめると
それは全く逆で
『母親が私を強力に支配したがっていた』
ということになるのでしょう
問題ばかり起こす姉たち
(時に父も)に嫌気がさし
せめて私だけは支配下に置きたい……と
なんだか
『うあぁぁ~、そういうことかぁ、、』
としか言葉になりませんでした
そんな視点で当時を振り返ると
いろいろツジツマが合うなぁ……と
青春ど真ん中の高校時代に
いちばん苦しんだアトピー
顔中がタダレて
腫れ上がり
(だから高校時代の写真はありません
ちょうどプリクラとか流行っていましたが、横目で見るだけ…ホント切なかった)
電車に乗れば
たまたま乗り合わせた小学生に
指を指されて気持ち悪がられ
(窓の外を眺めて、聞こえないフリするのが精一杯だったなぁ……涙)
買い物に行けば
心無いおばさんに
『あらっ、ヒドい顔ねー!』と言われ
心もズタズタでした
気が狂いそうな痒さで
夜も眠れず
風があたるだけで
震え上がるほど顔がヒリヒリした
辛い日々を
嫌と言うほど思い出すけれど
(痛いのと恥ずかしいので、ホンキで『仮面』を被って生活したかった……)
その原因に当てはまるのが
母親だったとしても
恨む気持ちも
悔しく思う気持ちもありません
だって私が
アトピーから卒業できたのは
母のおかげなんですから
皮膚を掻きむしって
血まみれになった布団のシーツを
毎日清潔にしてくれたのは母
食事に気を使ってくれたのも母
入院中も
毎日欠かさず
綺麗な着替えを持って
お見舞いに着てくれたのも母
ずっと寄り添い
支えてくれたのは母でした
そして何より
今だから
分かるんです
あの頃の
『母の気持ち』
私も母親になったから
母があの時
どれだけ胸を痛めていたか
どんな思いで
私と過ごす日々を
あんなにも気丈に振る舞っていたか
どんなに大切でも
どんなに想っていても
代わってあげられない苦しみ
願っても
祈っても
変わらない現状
「私がこんな身体に産んでしまったから」
なんて想うことも
きっとあったはずです
それでも
いつも前向きに
良くなることだけ考えて
治すことだけに向き合い続けてくれました
アトピーを卒業した方法は
十数年使っていた薬を
すべて止めるというものでした
だから
副作用やら反動やらが
一気に吹き出して
自分の治癒力が戻るまで
約3年間
地獄のような日々でした
(というか、『地獄の日々』でした)
でも
本来の力を取り戻す
取り戻せると信じて過ごした日々が
きっと母との関係を変え
アトピーも卒業できたのだと
思います
だからもう
あの日々にも
母にも
すべて
『ありがとう』なんですよ
ちなみに、
以前ご紹介した
その名は、バシャールの中で
さとうみうろうさんは
「願う者」と「願われるモノ」は、
同時に空間から湧き出る
2つの素粒子である
という話をされていました
専門的に詳しく言うと
『対生成』という現象で、素粒子物理学では空間から常に2つの粒子がペアで
”ポコッと”生まれること。
この2つの粒子はお互いに電荷が違う反ペアで生まれて、お互いに引き合い、
お互いに『対消滅』という衝突をして消える。というもの。
この本の中では
『引き寄せ』の法則の説明として
あげられていたのですが
要は
『望む者』と『望まれるモノ』は
同時に発生し
(というより、空間において分離し)
お互いに引き合って対消滅するものだと
……とすると
『強力に支配したがる人』=『母』
に対し
『強力に支配されたい人』=『わたし』
という事が成り立ち
どちらが先で……という話ではなく
きっと『同時』に発生したことに
なるんですよね
こうなったらもう
『何が良い』 とか
『誰が悪い』 とか
そんな話じゃなくて
『成る可くして成った』
なのかな?と……
その上で
『経験したこと』
『感じたこと』
『学んだこと』に
これからの生き方を見出せば
私にとって
本当の意味での
『乗り越えた経験』になる
きっと
それがいちばん大切なこと
なんです

↑マンション入り口の植木の手入れをする母と それを眺める娘↑