人の振り視て
「常識がない」とか
「○○のくせに」とか
「アラ」は探せば
いくらでもあるだろうし
自分の「正しさ」を
振りかざせば
非難も
否定も
いくらでもできるだろう
でも果たして
矛先を相手に向け
攻撃することは
「わたし自身にとって」
何になるのだろう?
別に
良い子や良い人に
なりたいわけじゃない
自分のなかの
「正しさ」を
自分が
投げ出したくないだけ
自分のルールを
守りたいだけ
魂を
磨きたいだけ
非難しどころ満載の人を前に
たとえば
「それって感謝が足りなくない?」と
感じるのなら
その違和感を
外に向ける前に
内なる自分に向けてみる
「もしかして わたしは今
誰かに感謝の気持ちが足りていないのでは?」と
自分に置き換えてみる
案外
ものすごく身近な人に対して
感謝もせず
文句ばかり言っていることに
気付くもので……
じゃあ
わたし自身の言動を
変えてみようか…と
素直に
やってみればいい
きっと
目の前の人は
わたし自身に
見直すべきところがあることを
体現してくれる
メッセンジャー
こういうのが
「鏡」っていう
感覚なんじゃないかしら?
ありがたや
ありがたや……
「常識がない」とか
「○○のくせに」とか
「アラ」は探せば
いくらでもあるだろうし
自分の「正しさ」を
振りかざせば
非難も
否定も
いくらでもできるだろう
でも果たして
矛先を相手に向け
攻撃することは
「わたし自身にとって」
何になるのだろう?
別に
良い子や良い人に
なりたいわけじゃない
自分のなかの
「正しさ」を
自分が
投げ出したくないだけ
自分のルールを
守りたいだけ
魂を
磨きたいだけ
非難しどころ満載の人を前に
たとえば
「それって感謝が足りなくない?」と
感じるのなら
その違和感を
外に向ける前に
内なる自分に向けてみる
「もしかして わたしは今
誰かに感謝の気持ちが足りていないのでは?」と
自分に置き換えてみる
案外
ものすごく身近な人に対して
感謝もせず
文句ばかり言っていることに
気付くもので……
じゃあ
わたし自身の言動を
変えてみようか…と
素直に
やってみればいい
きっと
目の前の人は
わたし自身に
見直すべきところがあることを
体現してくれる
メッセンジャー
こういうのが
「鏡」っていう
感覚なんじゃないかしら?
ありがたや
ありがたや……