お金や豊かさを受け取るのが
下手なのは


きっと
受け取ることに
罪悪感を抱く出来事


受け取ることで
誰かに迷惑をかけている

誰かを
困らせている

苦しめていると
思い込む
出来事が
あったから


だから
「受け取ってはいけない」


「受け取る価値がない」ことに
無意識のうちに
してしまっているから



たぶん
その「迷惑をかけた」
「誰か」は
両親でしょう……




わたし自身
私立に通わせて貰ったことで
学生時代は
父親から
二言目には
「金ばかりかかって」と
嫌みを言われ続け


さらに
大きな病気をしては
また
同じことを言われ……



だから
社会人になってからは
必死に働いたんです


「稼げる人になること」への
執着が
物凄く強かったから



結婚しても
自分が働けているうちは
まだ
何とかバランス取れていたんですよ



でもね
出産して
思うように働けなくなったとき
一気にバランスが
崩れてきて……



まず
保育園に預けていたとき
子供の発熱で呼び出しがあっても
旦那さんではなく
自分が早退すること
または
看病で休むこと


同じように稼いでいる人間なのに
対等じゃない


それは
生き方をまるで
「妨害される」かのような思いで…


せっかく自分で築いてきた
自分の価値を
脅かされるみたいで……



そして
仕事を辞めざるをえなくなったとき
稼げない自分が
すごく惨めで
養ってもらうことへの抵抗が
物凄かった


素直に受け取れないんです


ありがたくなんて
感じられないんです


そう


自分にお金をかけてもらうことが
「罪悪感」を生むものだったから


いっきに
「価値のない人間」に
なってしまった
……と
思い込んでしまい……




罪悪感から
逃れるために
必死で働いていたんです


自分で稼げれば
「誰にも迷惑かけてない」
っていう
捻れた安心感に
すがっていたんです


だから
稼げない自分には
もう価値はなかった


「価値はない」と
思い込んでいた



そうなると
欲しいものさえ
素直に言えない


自分で買うなら
値段なんか気にせず
本当に欲しいものを
選べたはずなのに


それが
「買ってもらう」となると
選べないんです


そう
あの頃よく言われた
「金ばかりかかって」
っていう言葉への
恐怖で





だから
本当に欲しいものを言えない
安いものしか選べない


だったら
「もう いらない」
って……



でもね
ずっとあの「言葉」だけに
捕らわれていたけれど


現実は
ちゃんと
不自由なく
卒業させてもらったんですよ



それは
「お金をかける価値があったから」


本当に
「価値がない」と
思われていたのなら


卒業するまで
通わせてなんて
もらえていないんです



「事実」をねじ伏せてまで
過去の捉え方を変えていた



それも
やっぱり
親に迷惑をかけている
「加害者」であったという思い込みから
自分を守るため
……だったんですよね



いま
目の前に居るのは
もうあの時の
父ではないんです


向き合って
共に生きているのは
家庭を築いているのは
両親ではないんです


相手が変わっているのに
わたしが
同じ不安を握りしめて
生きているとき


そこに
相手への信頼は
ないんです


「価値がない」という
思い込みを握りしめ
「受け取らない」態度を取るのは


相手に
「そう接してください」と
提示していることになるんです



だから


「お金をかける価値がない」自分も
もう
「卒業」ですね。。