連休を利用して、出雲大社へ。
式年遷宮へむけた
大改修が開始された5年前に訪れて以来
2度目の参拝となりました。
今回は ご祈祷もいただき
ご本殿の前まで
入らせていただきました。
出雲大社といえば
「ご縁の神様」
今ある「ご縁」へ
そして
これから先の「ご縁」へも
感謝の気持ちを胸に
参拝させていただきました。
そんな中
帰路に着いた電車の中で
疲れて眠る 息子の姿をみて
ふと 家族も
「血縁」と 言われるように
「ご縁」で結ばれていることに
改めて 気付きました。
新たな「ご縁」に 感謝の気持ちを
持つことも大切だけれど
一番身近で そして繋がりの深い
「ご縁」は 「家族」。
その「ご縁」を
「大切に想う気持ち」こそ
わたしが 今一番
向き合うべき「ご縁」なのかと。
実は 先日
その息子と
ちょっとした ふざけた会話から
苛立ちを感じ
想ってもみなかった言葉が
口をついて 出てしまいました。
「誰のために お仕事していると思っているの」と・・・
7歳の息子に
オトナゲ無く
かなりムキになって
自分が 仕事をしていることを
息子のせいに しているみたいで
物凄く 自分自身が傷つきました。
「そんなこと 想っていなかった ハズなのに」と
なんで そんな言葉が出て来たのか
自分の心の奥にある
どんな気持ちが その言葉を
発したのか
それが ずっと引っかかっていました。
息子の寝顔を見ながら ふと
「誰かのために 仕事をしないと思っているのは 誰?」
そんな 問いかけを
自分にしてみると
見えてきたのは
「そうでないと いけない」と
思い込んでいる
「自分」 の存在でした。
そもそも
出産後も仕事を続けようと
決意した 「きっかけ」
それは
「息子に愛情を注ぎ過ぎて
親離れをする時期に
息子に執着する自分で ありたくないから」
自分の人生を 歩む
自分のコミュニティーを 持ち続ける
その「手段」のひとつとして
わたしが選んだのが 「仕事」
そのはずが
いつの間にか
「目的」に なっていて
心の奥で
「息子のために 仕事をしている」と
すり替わっていました。
「愛情」が「執着」へ
変わる事への「恐れ」
きっと
その「恐れ」から
私を守るために
変化していて
気が付けば
息子からの「愛情」を
受け取る事にすら
「抵抗」を感じ
「仕事」を口実に
「愛情」を受けとめることから
逃げていたのかも・・・と。
身近なだけに
色々な意味で
「当たり前」に
そして
「盲目」に なっていた
そんな気がします。
出雲大社の式年遷宮の
形式の意味は
「再生」
正に
深い「ご縁」を持つ
「家族」との関係の「再生」
それに気づく旅となりました。