RYO IKEDA

 

カメラを持たずに出かけた。

今日は置いていくね、と、持って行かなかったのだ。

 

渋谷に着くと、人人人、音音音、足足足。

「撮りたい!」

がたくさん転がっていた。

「今撮りたい!あれを写したい!」

置いてきたFM2が恋しくて、仕方なかった。

久しぶりにこんなに撮りたい!と思った。

 

ドンキ前でしょぼくれている友人・satomiを

見つけた瞬間の「!」も残しておきたかった。

 

 

今日はカメラを通さず観る日みたいね。と。

 

 

無性に写真が見たくなった。

プチミーティングを終え、

satomiとBunkamuraにて開催中の『ソール・ライター展』へ向かう。

 

とてもとてもよかった。

写真を見て巻き込まれると、

「こんな素敵な世界、言葉なんていらないな!」

となる。

言葉を使って伝えようや!という葛藤が少しだけあったけれど「今は観たい!」という欲求が勝ってた。

言葉を邪魔とさえ感じた。

 

 

完璧ではないんだけど、その状態が完成だった。

完璧じゃないところが身近に感じたし、その完璧じゃない隙間に私自身の思考を入れることが出来た。

その感覚が面白かった。

こういうことか。

すごい。

何度も何度も頷いて、どうやって撮るんだって、驚いて、

好きだ!と、震えた。

 

何を観ているかの視点と、

存在を消して撮っているソール・ライター氏が見えた気がした。

もう1回言うけれど。

どうやって撮ってんだ。

 

会場は、静かだったけど、静かじゃないなと思った。

写真がざわついていた。(意味不明ですみません。別にかっこよく言おうとしているわけではありません)

収まるべき場所に収まりきれていないなって。

暴れ出しちゃってる。感じ。

静寂は基本的にはあるのだけれど、写真の中には静寂じゃないもある。

上手く伝わってるかな。

 

 

静寂。

 

 

先週、ダンサー・池田遼さんの単独公演を観に行きました。コンテンポラリー作品。

静寂と内なる激しさ。

身体全体で表現する、遼さんの内面。

繊細で、脆いようで、でも激しさもある。

静寂と息遣い。

 

全身で作品を作っていて、私も全身で作品を作らなきゃならない!と。

 

カメラで追えないのが悔しくて悔しくて。

もっともっと熱と静かさを伝えたい。

動を捕まえたい。

 

 

と、思いました。

ほなな。

 

 

 

なかやまえりか