中学卒業と同時に親元を離れ、高校を卒業し大阪へ。
思い出は積み重なり若い頃の思い出ほど心の下の方に沈んでいる。時々、手を伸ばし汲み上げてみるが、その思い出は変わらず当時のまま温かくて和む。
先般、当時暮らしていた町をGoogleマップで見てみると景色は変わり面影もない、新人歓迎会をしてくれた川辺会館は現存しているようだった。
当時は車を買うことが何よりの目標で会社が用意してくれたアパートには先輩社員2人と一緒に3人で暮らしていた。
職場の方は温かでパートで掃除に来ていた、おばちゃんは子供のお下がりの自転車をくれた。この自転車の存在は大きく俺の行動範囲を広げてくれた。
当時は仕事が終わらなければ終わるまで残業、配送センターで働いていた俺はトラックが入ってくるまで職場に残らなければならなかったが上司が奢ってくれる屋台のラーメンが旨かった。この時に出会った上司を越える上司は未だに出会えていない。デスクの上の灰皿は帰る頃には吸殻が山盛りになってたなあ・・
今では考えられない光景だな。
職場の先輩は皆が車好きで週末の夜は環状を走ったり臨海のゼロヨン、阪奈道路へ向かった。俺が車を買う時も一緒に探してくれた。一年間、必要最低限の暮らしで手に入れた車は赤いランタボだった。自転車をくれたパートのおばちゃんが納車祝いにスマイル☺️の絵のついたクッションを2つプレゼントしてくれた。
なんとも男臭いランタボに似合わなかったが後席に大事に並べていた。
一年が経ち部署異動により配送センターから営業へ変わった。
今の様にナビはなく、天満橋に事業所があったので道に迷ったら天満川に沿って帰って来たらええと教えられたな・・俺は鮭かと思いつつ。
確かに川に沿って帰れば事業所に戻れた。ただ・・当時の俺には営業は合わず南港からランタボに家財道具を積みフェリーに乗せ地元に戻った。
その後に阪神淡路大震災が起こった・・
当時の同僚に連絡をとり安否の確認は取れ一安心したものの・・パートのおばちゃんや尊敬する上司の安否については未だにわからない。
50代半ば、機会があればあの頃の俺に出会いに訪れてみたい場所だ。