中学生になると、部活に入ったり寄り道したりで、次第に家に帰る時間が遅くなっていった。
そんなわたしを相変わらずコントロールしようとする親。
今度は心配という名の愛情をぶつけて来るようになった。
門限は6時までと決められ、それを忘れて遊んでいると、
手当たり次第探し回り、一緒にいる友達を怒鳴りつけることもしばしばあった。
そんな父親がわたしは大嫌いになっていった。
家は父型の祖母も同居していて、5人家族の平凡な家庭だった。
その同居していた祖母も、また口うるさい人で、母親とよくケンカしていた。
そのケンカの原因は大抵が子育てのことだった。
わたしは祖母の愚痴をよく母親から聞かされていた。
そして母親からは、
「あんた達がいるから我慢してるの。将来結婚するなら、絶対義理の親とは同居して欲しくない」
ということを何度か言われたことがあった。
わたしはその時、母親に辛い思いをさせてる、我慢させてるんだなって思い、とても悲しかった。
しかしそんな母親やわたしの思いをよそに、父親は一家団欒の時間を強要してくる。
側から見たら、いかにも幸せそうな家庭を演出をしたかったのだろう。
そんな家族ごっこに次第に嫌気が指すようになり、わたしはますます家に帰るのが嫌になっていった。
わたしの周りには母子家庭の友達が多く、
いわゆる鍵っ子で、家の出入りも自由で、
親が仕事で遅くまで帰ってこなかったり、夜から働きに出たりで、ほとんど顔を合わせる事がなかった。
当時のわたしからしたら、そんな友達の環境が羨ましくて仕方なかった。
友達と一緒にいる時間が何よりも楽しくて幸せで、学校が終わると友達の家に入り浸るのが日課になっていた。
しかしそんな中思いもよらぬ事態が起こった。
祖母が体調不良で入院することになったのだ。
もともと細身で、顔色も青白くいかにも病弱そうなタイプの祖母だったが、
この入院をきっかけに、さらに痩せ細っていく姿を見ていられなかったわたしは、
病院にもあまり顔を出さなくなっていった。
そうこうしてる内に、ついに祖母が亡くなった。
中学2年の頃だった。
あんなにガリガリの骸骨みたいだった祖母の顔が、最後はふっくらとしていて何とも穏やかな顔をしていたのを今でも覚えている。
口うるさかった祖母が亡くなり、父親が権力を握っていた我が家では、皮肉にも水を得た魚のように母親の表情が変わっていった。
そしてこの頃から父親に反発するわたしの味方をするようになり、父親に言い返すようになっていった。
つづく。。。