皆様こんにちは。


新たに新年度が始まり、

別れの季節で寂しさ、

出会いの季節で楽しみもあり

この季節は

複雑な気持ちになる娘はもう小学五年生!

どんな1歩が踏み出せるだろうか、不安と期待を胸に馳せて、、、






さて、今回は前回の続きで、不安障害発症後の続きを綴っていこうかと思います。


体調を壊した2年生の夏はその後すぐ、夏休みに入りました。

ゆっくり休める時期が重なって今となっては良かったんですが、それと同時に私は仕事に行けなくなったのです💦仕方ないのですが。。。


この頃はこの夏休みのうちには娘のこの病気は治るだろうと軽く考えていました。。。


が、そこからが始まりだったのです。治るどころか酷くなりつつある。娘は不安が先走って、少しの買い物にすら行くことが出来ず、買い物どころか大好きだった外食も行くことを拒み出したのです。ご飯を作るの匂いや、すべてに敏感に反応しだしました。


歩くことや立ち上がることすらも辛い時もありました。


この変化には凄く驚いたのですが、そんなになるまで、心身がやられてしまってるなんて思いもしなかったので、そんな娘の姿を見て、凄く私自身もショックを受けました。

それよりも1番辛いのは娘自身ですけどね。。。


水を飲んでは吐きそうになり、ゼリーを1口食べるだけでもダメでホントに娘の身体はどうなってしまったのだろうと、これからどうなってしまうのだろうと不安で仕方なかったです。


そんな日を過ごしていくうちに、私から1秒たりとも離れることが怖くなってしまった娘は、トイレに行くだけでも私についてくるようになってしまいました。


どこに行くにも離れるのが怖くて離れられないのです。

これを母子分離不安と言うそうです。


母子分離不安は、例えば保育園に通いだしたりする子によくある 朝、母親と離れる時泣く子はよく見かけますよね。


母親と離れるイコール不安で泣く。


そう、これは当たり前のことです。


でもこれは慣れてくるもので泣くのは結構最初の方だけだったりしますよね(^^)少しずつ自立していくのです。


でもうちの長女は2歳児クラスから保育園に通いだし、卒園するまでの、実に4年間毎日と言っていいほど泣き続けました。


泣かずに行けた日の方が数えることができるぐらい。毎朝毎朝泣き続けました。


その時は、私はこの子の個性なんだと、ただこういう子なんだと思っていただけでした。


しかし、この毎日泣き続けるなんて今思えば、少しおかしかったのかなと思いました。


ある記事では長期に渡って続く場合は異常がある場合があるので専門医に相談をおすすめします。


なんて書いてあるのを見て、この時からなんらかの予兆みたいなのがあったのかなって思いました。。。


この時になんかしら気づいていれば、早期対応出来たのにと、自分の不甲斐なさに落ち込みましたよ。


でも、弱音なんて吐いてられず、この時は娘を支えることで精一杯でした。


夏休み明けには娘も元気に遊べる日も出てきたり、調子のいい日も増えてきました。同時に学校に行ってみる?って声掛けしたりもして、まずは一緒に登校して教室も一緒に行ってお便り持って帰るだけ!から始めました。


娘自体は学校には行きたいと言っていて、でも一人では行けず毎日私がついて行きました。


教室に入るのはこの時はまだ怖くて(トラウマになっていた)廊下まででストップと言う感じでした。

廊下から授業を観たりするので精一杯だったようです。

この時、娘は自分の体に起こってる不調をとても不安に感じていました。この病気いつ治るの?と。

その時は、”大丈夫!治る時が来たらきっと治るから。”と言うことしか出来ずその場を凌いできました。


私も病気のことをまだ詳しく理解出来ず、娘の症状と日々向き合い、ネットで検索しては同じ症状の方のブログや記事を読みあさりました。

それらを参考にして、対処したりアドバイスしたりしましたが、娘は自我が強く、それは無理、嫌だしか言わなく、私は随分イライラしました。

今の不安は、随分勉強からも離れてたので、学習に遅れがある事です。本人にやる気がないと中々家では見切れません。皆さんこんな時どうされてたんかなぁって(´・ω・`)同じ境遇の方がこのブログを読んでくれてアドバイスしてもらえたら嬉しいです。


それではまた✋つづく(* ̄▽ ̄)ノ~~ ♪










皆様こんにちは。なんと、9年振りにアメブロ開きました。笑


そんな私は今では1歳、5歳、10歳の三姉妹のmommyです。



小学生4年長女の不安障害になったきっかけについて、ブログ書いていこう思います。

あれは、小学2年生の夏でした。娘はいつも通り朝は苦手で中々起きず、ぐずり気味。こんなのは毎朝の事で慣れてました。いつもの事だといつも通り思っていました。集団登校でしたので時間が来ると、はよ行きやー、時間やで!っと私は背中を押し、送り出す。が玄関を出たところで娘は急変。
突然、床に突っ伏して「怖いー」っと叫び泣きだしました。
私は突然の事で驚き、とりあえず家の中へと引き戻しました。部屋にはいり「何が怖いの?」って聞いてもわからん。って。そして気持ちが悪いとも。
なんか胃腸風邪かなんかになったんかな。とその時は普通に学校をお休みし、病院に行きたかったけど、娘は大の病院嫌い( ´•_•。)💧どりあえず熱は微熱程度なので家で様子を見る。この時娘の体調が悪かったことに気付け無かったことに私は反省した。その日の娘はずっと気分が悪いといっていた。

その日の夕方、お友達がお便りを届けに来てくれた。いつも遊んでた子だ。するとその子が 「今日休んでるのって昨日給食の時気持ち悪くなったから??」って聞いてきた。
私は「?ん?何?その話」ってなって、その子にその時の話を聞いた。
そしたら、昨日給食の時間、給食を全部食べる事が出来ないままストップしてしまった、と。でも先生は全部食べる事を娘に伝えたみたい。娘は無理して食べて、その後気持ち悪くなって吐きそうになって怖くなってパニックになって暴れたと。友達が話してくれたのはこんな感じ。その友達はそんな娘を見て少し恐怖やったって言うてました。
そんなことあったんや。って私!全然知らんかった。娘は昨日元気に帰ってきて普通に友達と遊んでたし。まさか学校でそんなことあったなんて。
てか、私としては体調悪くした時に先生から電話なり報告して欲しかったって思った。
翌日、娘と一緒に学校に登校して、先生に事情を話した。
すると先生も娘に「お家の人に電話しとくね」って言うたけど、娘は「自分で言える」と言うたみたい。
案の定、娘は忘れてるわけやけどね。
私は、「あぁその日に知りたかった」ってのが本音。
なぜなら、学校行くのが怖いと言い出したあの日の朝、ぐずり気味の娘を少し怒り気味で送り出そうとしてしまったからだ。。。
知ってたら対応も全然違ったと思う。怒った事に後悔。

あの日から娘は、飲むことも食べることも出来なくなった。なぜなら、喉にずっとなんかしらの違和感があるのと、食べたり飲んだりすると気持ち悪くなり、吐いてしまいそうになるから。病院に行っても何も異常はなく、「おそらく精神的なものでしょう」と言われ経口補水液を処方され。帰ってきました。少し飲むと吐きそうになりパニックになり、体は強ばり力が入り震え嘔吐く、これを2週間ぐらい繰り返しました。みるみる痩せていく娘を見て、大きい病院に行くことにしました。お腹のエコーや心電図や色々検査をしてもらったけど、やはり身体に異常はなく。そこの先生は小児の精神的に見てもらえる時間外の外来に行くよう言われました。
予約を取り受診しました。とても優しそうな女の先生でした。その先生に今までの経緯を全て話しました。すると先生は不安症、パニック症と言う言葉を発しました。後は嘔吐恐怖症とも。

何となくしか聞いたことのなかった言葉。
心因的なストレスで発症してしまった娘。

これがざっくりとですが発症したキッカケです。
私は色々知らないことが多すぎるのでこの病気の事を知って娘に寄り添い克服して行きたいと今奮闘中です。

その後の続きを又更新していきたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

今日で断乳して7日目!

1日だけ夜中30分大泣きした以外は

以外と今日まで大丈夫で音譜

お酒も解禁(*≧∀≦*)

飲んだくってます♪w

夜中も大分起きなくなったし

体、楽チン☆-( ^-゚)v

ケド、寝かしつけ大変な時ある汗

スグ寝てくれるときとそうじゃないとき。

離れたら離れたで大変やなぁ。゚(T^T)゚。












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