島内の施設で生活していた祖母が、少し前、島外の遠くの病院に入院しました。
祖母のいる施設の横には関連の大きな病院があり、何かあってもそちらで診ていただける思っていたので、家族にはかなりショックな話でした。
今までは、会社の帰りや休日に息子と一緒に会いに行っていましたが、祖母がそちらの病院に行ってからは一度も会いにいっていません。
入院に付き添った叔母によると、『老人性精神障害』で3ヶ月の治療と医師から説明があったとそうです。
この先にほんとに病院があるんだろうか、と思うような道をずっと行った先に大きな建物があり、かなり独特の雰囲気で、今までいた施設とは全然違う。。。と叔母が教えてくれました。
橋を渡って片道1時間かかる場所なので、今まで毎日のように会いに行っていた叔母夫婦も月に何度か行くのがやっとだと思います。
院内着もすべてレンタルの契約にして、洗濯も出ないように契約してきたと言っていました。
先日、大阪に一泊させてもらった時に、焼鳥屋で私の向かいに座った叔父が祖母の話を私に振ってきました。
「うちのにも言うたんやけどな、心配な気持ちもようわかるけども、今は会いに行くのもひかえとかんといかんと思うねんで」
私は、叔父の言葉の意味がよくわからず「う~ん・・・そうなんや」と、とりあえず問題のない返事をしておきました。
次の日、帰りの高速を走り始めると、息子がその事を私に尋ねてきました。
「昨日、おっちゃんと大きいばあちゃんの事について話しょったみたいじゃけど何じゃったん」
「うん・・・しばらく会いに行かんほうがいいって・・・なんでじゃろう」
多分、息子は私が叔父の言葉の意味がわかっていない事に気がついていたんだと思います。
「僕思うんじゃけどね。。。
みんなが会いに行って大きいばあちゃんが喜んだり、帰る時に寂しがったりする事が治療の邪魔になるんじゃないんかね。。。
会ったら帰りたいって思うかもしれんし、じゃけえおじちゃんは大きいばあちゃんが落ち着くまで行かんほうがいいって言いたかったんじゃない?
それと、自分が行かんといけんってママが負担に思わんように言ってくれたんじゃないん。。。」
「あぁ~そっかぁ~そうだねぇ~やっと意味がわかった・・・」
それだけ返事をするのがやっとで、そこから先はしばらく涙が止まらず、暗い高速道路を涙をポロポロ流しながら運転しました。
94歳の祖母の子供もみんな高齢で、周りで車を運転して元気に動けるのは私しかいません。
でも、私は息子との生活を一番に考えるべきで、好きに動き回れるわけではありません。
戦前、戦中、戦後を生き抜いて、たくさん苦労をしたはずなのに、いつも明るく笑顔いっぱいで優しい祖母が辺鄙な場所の病院で知らない人ばかりの中に一人でいるかと思うと、心をぎゅっと握られた様に苦しくて・・・。
自分の試験がだめだった事も手伝って、最近とてもしんどかったんです。
あんなところに祖母を行かせて、私は何もしれあげられない・・・。
それがとても苦しくて。
みんな年をとっていき、状況は刻々と変化し、いつも心配されていた私が、心配しながら動き回る立場になり、だけど、まだ早いのかもしれないけど、私ももうすぐ45歳で、だんだんと老いを実感する事が増えてきました。
あと5年半、親の務めが終わるまで私は元気でいられるのだろうか、息子が一人立ちするまで、息子の負担にならずに何とかやっていけるのだろうか。。。
いくつかマイナスな出来事が重なると、ものすごい不安におそわれます。
今まで記事を削除した事はないけど、もしかしたら、この記事は後日削除するかもしれません。
こんなネガティブな話を最後までお読みいただいてありがとうございました。
一晩寝たら、元気な母に戻ります。