201X年11月 父が他界した。
この文章は急逝した当日の夜、翌朝の始発便を待つ時間に書いている。


なぜこんな時、このタイミングで書き残そうと思ったのか。

それは、このタイミングでしか出てこない、
感情、考え、など多々あり、それが消えてなくならない内に残しておきたかったから。

時間が経ってから出て来た言葉は、その時に生まれたものとはまた違った形として出てくるから、どうしても今なのだ。今書きたい。

どんなに大切な事でも、人の記憶は変化し薄れてしまう・・
寝てしまうと、リアルな、直感的な想いが薄れてしまうので、寝る前に書く。



患者の家族として、


医療従事者として、


貴重な経験であると感じたから、どうしても残したいのだ。




11月1日

10月には1人で大阪出張に行くぐらい元気があった父の具合が悪く、

かかりつけのクリニックに行くと炎症データの増大を認めたため、

(田舎の中でも)大きな病院に救急搬送されたとメールで知らされ、気が気じゃなかった。


受診して先生からの説明が終わったら電話するね、と母から言われていて、
漫画みたいに携帯電話の前にずっと座って待ってた。


それから1時間半ほど経ち、入院までしなくてよくなった、と電話があった。

父の声を聞いて泣いた。

心配と緊張の糸が切れ、安堵で涙が止まらなかった。

「だから、東京からわざわざ来なくて大丈夫だから。正月にでも顔出しに来い。」

電話越しに、微笑みが浮かぶような、優しい父の声だった。





11月6日

後からわかったことだが、1日の受診では仕事を理由に一度入院を拒否していたそうだ。
外来治療していた父がこの日再診し、
データの改善が見込めず、

■■病院へ、入院となった。





11月9日

ここでも著しい体調の改善は認めず、日々弱る父を見かねた母が連絡してきた。

「お父さん、身体良くならなくて入院になったから、一度帰って来れない?」

一週間前の声とは違う、焦りと心配が混じった弱った母の声に動かされ、すぐに帰郷する準備をした。
正月帰省のつもりが一変してしまった。




11月12日 
父はこの日、⚫︎⚫︎病院へ転院した。
なぜ転院したかというと、■■病院では腎臓内科を見れる科がないからである。

総合病院で働く私は、
「診療科が変わる度に転院!?!?」と驚いたものだ。

ここで少しずつ、田舎の、地域医療の実態がどの様なものかわかっていくのである。