(セ・パ交流戦、阪神0-1ソフトバンク、1回戦、ソフトバンク1勝、29日、甲子園)衝撃の交流戦開幕だ…。阪神はソフトバンクに0-1で敗れ、連勝は5でストップ。鳥谷敬内野手(36)の出場機会は最後までなく、プロ1年目の2004年9月9日のヤクルト戦(甲子園)から続いていた歴代2位の連続試合出場が「1939」で途切れた。虎の歴史に大きな区切り-。3位に転落したチームとともに、不屈の鉄人が再び、歩き出す。  ついにこのときがきた。九回二死一、二塁。中谷のバットが空を切った。午後9時48分。最後までグラウンドに出ることはなかった。鳥谷が積み上げてきたひとつの歴史に終止符が打たれた。 「いつかは止まるものなので。いいときも悪いときも、けがをしたときも使ってくれた監督たちに感謝したいです」  クラブハウスに歩を進める表情は、吹っ切れたようだった。1年目の2004年9月9日から始まった連続出場試合は「1939」-。この日の交流戦開幕は両者、均衡破れず。唯一、可能性があったとすれば0-0の八回二死満塁だったが、金本監督は代打に伊藤隼を送った。 「(試合中に)スイングはしていました」と話したが、0-1となった九回の攻撃は、22歳の1番・植田(遊撃)から。2番は好調な25歳の糸原(二塁)。代える場面はなかった。厳しくも、それが現実だった。  昨年は三塁、今年は二塁と2年連続コンバートを受け入れたが、オープン戦打率・067、本塁打&打点0の不振。巨人との開幕戦こそスタメンに名を連ねたが、左腕・田口が相手だった2戦目はベンチスタートだった。厳しい立場は明白。出番が限られる中、打率・143、0本塁打、5打点と低迷した。代打や守備固めで記録は継続されたが、本人も周囲ももどかしい日々が続いた。  転機は10試合ぶりに先発出場した20日の中日戦(ナゴヤドーム)。3打数無安打に終わり、将は「本人と話をしないと」とXデーをにおわせた。その後の出番はすべて代打。記録のための出場は消え、試合状況に応じての登場に変わった。 「(鳥谷を出す)場面がね。それはもう仕方がないですから。いつまでもというわけにもやっぱりいかないですから。試合をやっている以上、状況がありますから」と金本監督。すでに終えていた2人の話し合いについても「もう、シーズンオフからしている」と話すにとどめ「本人も全然そこ(記録)には『こだわっていない』と言っていた」と明かした。  11年には守備で右手人さし指の爪がはがれた。15年には死球で背中を痛めた。そして昨季は顔面死球で鼻骨骨折…。誰もが絶体絶命と思う中「グラウンドに立って優勝したい」という日本一への思いが、鳥谷の支え。ただ今季はシーズン中には滅多に飲まないアルコールの量も、気がつけば増えていたという。  関係者によると、首脳陣の中で鳥谷の記録をもっとも配慮していたのは指揮官だった。ただ、最後はチーム最優先の姿勢を貫き、結果、ひとつの“時代”が終わった。金本監督は2軍降格について「考えていない」と否定。鳥谷も30日の準備について「はい」と気持ちが切れていないことを強調した。来季までの4年契約。残された時間の中で、ここからどんな姿を見せるか。鳥谷の真価が、試される。 (阿部祐亮)

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