夏の北海道から秋の北東北を旅してきた

 142日間の記録です
 
  もう1年以上も前のことになってて驚きです
 
 
 
 
 
 
105/142日目(その4)
 
 
 
 
 
 
 
大阪を出発して105日め
原付を積んだ軽バンで
離島を含め北海道全域を走って
74日目から本州北東北に入り
青森秋田ときて今は岩手を徘徊中







平泉世界遺産文化センターを出るとちょうどお昼の頃合いで、隣に道の駅平泉があるから十中八九立ち寄ってレストランを覗いていると思われます。


で、たぶんカレーだラーメンだとんかつ定食だと、めっちゃ一般的なメニューしかないのでやめたんだと思われます。

スマホに記録されてたオヒルゴハンの写真です。


在庫のロールパンと在庫のチーズスフレですね。







さァそれではいよいよいきますよ、世界遺産。








  中尊寺






麓の駐車場(現金400円)に車を駐めて、参道を歩きます。






坂道の山道はそこそこ距離があるので、足が悪い人は坂の上の駐車場に駐めるのがいいと思いますが、階段だとヒーヒーゆーわしも坂なら普通に歩けました。






登る途中ところどころにお堂があったり売店があったりしますから、歩ける人は自分で歩くほうが楽しいと思います。






そして右手に中尊寺(本堂)です。













両脇の不滅の法灯は伝教大師最澄が灯して以来1200年照らし続ける火を比叡山から分灯したものだそうです。






そして金色堂(カード1000円)です。






教科書に載ってる金色堂はこんなんですが実物とは全然違いますね。





と思ったらこれは覆堂といって、金色堂を風雨から守るために覆っている建物で、1965年に建て替えられてるそうです。






中にある金色堂は撮影禁止です。
仏像の置かれた須弥壇の下は藤原三代の亡骸が安置されていて、滅びた四代目は首だけが首桶に安置されてるそうです。

源義経を保護したことで頼朝の怒りを買い、四代目の泰衡の首は八寸釘を打ち込まれ晒し首となって、その首だけが安置されているのです。






それから1965年に建て替える前の覆堂は、すぐ近くに移築されています。

金色堂創建50年ほどで簡単に覆いが造られて増改築を繰り返して、室町時代にこの形になったようです。





その内側です。
ただの覆いとはいえ800年経ってると思うとそれだけでもなかなかですよね。






五月雨の降り残してや光堂、芭蕉の句碑もあります。





中尊寺経が納められていた経蔵です。





中尊寺経とは正式名が紺紙金銀字交書一切経といって、紺に染めた紙に一行ずつ交互に金と銀で書かれたお経のことで、大変な費用がかかっています。






5400巻あった中尊寺経は太閤秀吉によって持ち出され4200巻が高野山にあるそうで、中尊寺に残っているのはわずか15巻だそうです。







続きます。