美術館で自分自身をもてなした時に沢山得た様々な出来事についてのお話です。
先日は仕事帰りに美術館に立ち寄ったのですが、
それも、断捨離正規トレーナーであるあずみゆきこさんのブログを見て、思わず私も行きたくなったから。
今まで近くにあったのに、近くにありすぎて行く気が起きず敬遠していたので、良いきっかけがあって良かったです。
(美術館についてのブログは前回を参照して下さいね♪)
今まで頑張って頑張って頑張ってきた私をもてなす1日にするために、飛びきりの贅沢?ができました♪
開館までのんびりと海を眺めたり、集まっている人達を観察しながら、開館待ちをしていた一向が去った後、ゆっくりと受付へ向かうと…
前に並んでいた女性が、本館と企画展と別館が無料になる招待券を譲ってくださいました。
お陰さまで出費もなく楽しめました。
どなたかわかりませんが、ありがとうございました
m(__)m
ハッピースパイラルはまずはそこから始まりました。
何気なく絵を眺めて楽しんでいたのですが、一つ一つに書いてある絵の説明が、ずっしりと私に響いてきました。
まるで、作者が私の為に書いてくれたかのように!
トリック&アート展だったので、だまし絵…というのでしょうか、目の錯覚を利用した作品ばかりがずらりと並ぶ中、
<鏡中図 さや絵 鞘絵図>というタイトルの作品に目が止まりました。
これは、前回のブログに登場した
「これって3Dなの?」
と発言した少年が見ていた作品です。
写真NGなので説明し難いのですが
小皿よりも少し大きいお皿に
青一色で水墨画に出てくるような風景が一面に描かれているもので
その中心部に銀色の円筒が置かれているだけのものだったのですが
円筒に映し出された絵は立体的で、木々などは飛び出して見えるのです。
解説によると
作者は不明、お皿の絵は計算してわざと歪ませて描き、お皿の中心に立てた円筒から見る絵は歪まず立体的に見える…とのこと。
私はその場から離れられず、いつまでも立ち止まってしまいました。
見え方が不思議なこともありますが、それよりも気になったのはその作品の解説!
その絵に限らず、そのブース毎に書いてある作品についての総まとめ的な解説が、あれもこれもと私に訴えてくるのです!
「見る、のは受動的ではなく、意識して見る、見ようとして見る能動的なものである。」
「今、見ているものが正しいとは限らない。」
「見えないはずのものも目の錯覚で見えてくるが、その見えたと思っているものも、現実に描かれたものをそのまま見ている訳ではなく、正しいとは限らない。」
…紙に控えてきた訳ではないので、実際の言葉とは異なりますが、心に書き留めてきたものは、そんなような表現でした。
それらの言葉から私が思ったこと…
今までは
生活全般を全て教科書的なもの…
例えば育児本だったり、助産師さんや医者の考えであったり
知人や新聞、テレビなどで得た情報までも自分の考えに入り込み
それを基準とした教科書的な考え、自分のモノサシで全てを判断して
善悪を厳しく裁き
悪しき物は許さずバッサリ切り捨て
自分さえも
その裁きに遭い
「ダメな人間だ。」
「ダメな母親だ。」
「ダメな嫁だ。」
…と、誰かにそう評価された訳でも何でもないのですが
それに捕らわれ過ぎて人生を生きにくくしていたのだと
ようやく気が付くことが出来ました。
自分で作り上げた
自分だけのモノサシで
計られて生活してきたあげく
自分に自信がなくなり
言われてもいない言葉が
気になり
どうせダメな人間だからと
初めからダメな人間なら
他人から「あいつはダメな奴だと思われても傷つかない」ダメな悪い人間を装ってきたんだ!
思いつきでふらりと立ち寄った美術館で、こんなにも心に響く出来事が待ち受けていたとは!
しかもその企画展、行った翌日までの期間限定の展示。
もう、あの言葉にはお目にかかれませんが、
私の心にずっしりと残りました。
ちなみに、巨大な折り畳み定規が壁面に展示されていたのですが
その縮尺や目盛りが合っているようで間違っていて
その解説にはこう記されていました。
「モノ計る基準であるモノサシが、完全に合っているはずの目盛りが歪み、何が合っているのかわからなくなっている。今、目の前にあるもの、見えているものが合っているとは限らない」
と書いてありました。
私が今まで正しいと思ってしてきた数々の行動を
よく考え直すきっかけとなりました。
また明日も仕事帰りに
美術館に寄ろうかな?
今週末まで、猿島でアート展をやってるようなので
こどもを連れて短い船旅をしようと思っています。
特撮現場にもなる要塞があるので、仮面ライダーの撮影でも来ないかな?
と淡い期待を胸に
また新たに自分探しの旅へ出掛けようと思います。
今度はこどもにお供して貰います♪








