皆さん、こんにちは。
暑いですね。
もうすっかり夏ですよ、これは。
でも、梅雨が明けたらこれより暑くなるんですよね
考えるだけでバテそう。
で、我が家の年号問題の解き方です。
日能研6年生は歴史が終わり、公民の単元に移りました。
なのに、今、歴史って。タイミング悪っ。
と思いました?
我が子、今は細かい年号とかは覚えていません。
社会で細かいことを覚えていくのは夏休みから。
おそらくどの塾でも夏か2学期から社会にテコ入れをしていきます。
早い時期から細かいことをやっても、忘れちゃうんですよね。
だから効率が悪いのではないかと。
そう、だから。
年号を覚えていくのはこの後すぐ!ってことで、
このタイミングでのこのブログになりました。
……………というのは後付けで
書こうとずっと思っていたけど先延ばしにしてしまいました
何行にもわたり、言い訳してすみませんでした。
でで、年号の問題を解くときに
たとえその問題の答えを覚えていなくても
「解らない。」
は禁止にしています。
大体でもいいから答えてもらいます。
「太閤検地」が
紀元前1000年か1000年代か1500年代かは
全然違いますよね。
もう少し詳しくすると
例えば「日英同盟」が結ばれたのは何年かという問題。
解らなければ、「なぜそれが結ばれたのか」「なぜその同盟が必要だったのか」
を答えてもらいます。
「ロシアと戦うため。」
それにはなぜイギリスなのかも聞きます。
それから、
「じゃあ、その戦争は?それは何年?」
「日露戦争。でも何年か解らない。」
「日露戦争の前の戦争は?」
「日清戦争。1894年(”日清ラーメン、人は食うよ”のゴロ合わせで覚えてる)。
あっ、日露戦争は日清戦争の10年後だから1904年!」
「じゃあ、日英同盟はいつくらい?」
「う~ん、1900年?」
いい答えです。
ビンゴよりニアピンの方がいい。
答えを見て
「あ~、惜しい!1902年だった。日露戦争の2年前なんだね。」
という反応になります。
時間があれば、日清戦争から日露戦争になった過程なども考えてもらいます。
重要なのは、その出来事が起こった理由だと思っているので。
おそらく年号の答えを「解らない」で終わりにすると
答え合わせで解答を見て、「1902年か。」で終わってしまう可能性大。
覚える気皆無ですね。次やっても解らないでしょう。
最初はこんなに順調にはいかなかったですが
回数を重ねるごとに
歴史の流れが頭に入ってきたのか
答えられるようになってきました。
まずは年代の境目や大きい出来事(大化の改新、大政奉還など)
の年号を覚えるのが大事。
本当はこれくらいずっと覚えていてほしいのですが
我が子は大化の改新も大政奉還も覚えていませんでした
何度も何度も私がしつこ~く子供に聞いて覚えてもらいました。
そんなこんなで最近、年号問題は
だいぶニアピンに近づくことができています。
これをやる前は平気で
「鎖国…、1400年くらいだっけ?」
と言っていました。
「200年くらい違うけど。」
「200年くらい大したことないじゃん。」
「じゃあ、あなたが生まれた年は1811年だね。」
「いやだぁぁぁ。」
うん、成長したな。
※これは歴史が大の苦手な一介の主婦がやっていることなので参考程度でお願いします。
これを実践したから年号完璧、という保証はありません
誰もそんなことは思わない…