この歳になってやっと、「在らねばならない」という縛りから脱出できつつあります。

一般的には、成長することは正義です。資本主義社会において、それは絶対的な価値観ですよね。でも、一部の人にとって、そういう考えはとても息苦しく感じられます。

私は仕事で進路系のジャンルを取り扱う関係上、どうしてもビジネスコラムなどを読む機会も多いのですが、常に自分磨きとか、会社の中で生き残るためにどうしなければならないとかの「~せねばならない」「~であるべき」という理想主義に触れてきました。今の社会では、これがポピュラーな考え方です。正しい。常に成長し続けることこそ理想的な人間像だと私も思っていました。でも、いざ自分に当てはめて考えようした時、違和感が募っていき、やっと気づくことが出来ました。

これは、私には合わない価値観である、と。

よくよく考えてみれば、気分に左右されやすく、素直(短絡的)で、計画を立てるのが大変苦手な人間なのです。小さい子がよく聞かれる悪しき質問「将来は何になりたいの?」にも、全くなりたいものが思い浮かばず、困った挙句、回りの子に多い「ケーキ屋さん」という回答を模倣していたくらいです…。立場や能力への憧れを持てないので、目標も立てられない。それを、小さい頃からの「計画的にやりましょう」の教育によって、価値観が正反対のところへ向いていてしまったようです。

今の子はどのような教育を受けているか分かりませんが、私はこのやり方は弊害でしかない。もちろん、計画は大切だと思うのですが、それがかえって足かせになる人間もいるわけです。
第一、目標がない人間はどうすれば?
目標を探すところから?

計画が立てられて、その実行をストレスに感じない子は、なりたいもの、目標に向うためにすべきことを為せばいいし、計画が立てられず、自分を縛るのにストレスを感じる子には、好きなことをやりたいように突き詰めればよいのです。
そうすればおのずと何処かへたどり着くでしょう。

ということで、私も最近ようやく精神的に開放された気分になれました。
無理に何かになる必要はなく、ただ自分の気持ちと、かかわってくれる人を大切に生きていれば、人生は楽しいものになる。

成長するために生きるのはつまらない。
好きなことを追いかけて、行く先々で思いがけないあれこれを発見する方が楽しい。
もちろん、自分の立てた計画を実行してその通りになるのが至高の喜びって人もいるのでしょうが、私は人生もポタリングでいいのです。気持ちを大切に生きていい、と気づけたので、最近はちょっと楽になりました。

みなさんはどうでしょう。