あめゆじゅとてきてけんじや | お気楽主婦の毎日Happyなブログ

お気楽主婦の毎日Happyなブログ

always be with you いつも笑っていて、いつも隣にいて・・・
always lovin' you どんな不安さえも、どんな痛みさえも・・・

 

ある日新聞の読書欄で見かけた『銀河鉄道の父』と言うタイトルに魅せられて図書館へ行くと予約6人待ち。

 

待って待ってやっと手元に来た400頁余のハードカバー。

表紙には古びた手帳に書かれた

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」の文字と丸眼鏡、

そして、愛用されたであろう懐中時計と万年筆。

 

宮沢賢治の父、政次郎の目線で描かれた門井慶喜さんの長編です。

 

花巻の資産家の家に生まれた賢治に

溢れるほどの愛情を注ぎ、一方では家長として、父としての沽券にかかわることは出来ない可愛い父親像。

その事と溺愛との間をウロウロする様がとても暖かくもあり

少しだけ滑稽でもあり・・・。

 

腕白な少年時代、

家業を継ぐつもりはないと農業学校への進学を懇願する思春期。

学校の先輩でもある石川啄木に憧れ

詩作に励む青年期。

親とは相反する仏教に熱心に打ち込み

故郷へ帰ってからは農業を通して貧しい農民たちの力となり

父と反目する時代もありました。

 

それでも政次郎さんは限りない愛を注いできました。

 

子供の頃からお話を聞かせるのが上手だった彼は

妹のトシ子に「お兄ちゃんはお話を作る人になってほしい」と

言われた為だけではないけれど、

ありったけの原稿用紙を買って日夜、文を書く日が続いた。

 

しかし、兄妹以上に仲がいいと周りで心配されるほどの

最愛の妹がわずか22年の生涯を閉じた。

 

トシ子の最後の言葉

「あめゆじゅとてちてけんじや」

賢治は「わがった!」と裸足で廊下から飛び出すと

枕元にあった茶碗に雪を山盛り入れて戻って来た。

 

子供の頃から勉強不足で

この呪文のような言葉が理解できなかったので

霧が晴れたような思いがしました。

 

あめゆじゅとは岩手のこの地方の方言で

雨交じりの雪・・・みたいなニュアンスの言葉らしいです。

 

「お兄ちゃん、喉がすごく乾いたの。

 お庭の雪を少しだけ持ってきて頂戴な。」

 

生前に出版された「永訣の朝」の中に書かれているエピソードです。

 

父、政次郎は妹の死に慟哭し本に書いた事は

病状が良くないトシ子を転地療養をさせたい賢治の意見を聞かず無理やりに自宅へ連れ戻した自分への無言の抵抗だと受け取って悔いたと書れています。

 

結局代々続いた質屋の家業も継ぐ子がおらず

商売をたたんでしまいますが、

トシ子と同じ病の賢治を不眠不休で看護して

やっと憧れていた隠居の生活の入りました。

 

いまわの際に『雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ負』を作った時には

筆圧も弱く画数の少ないカタカナしか書けませんでした。

 

 

普段、ミステリーが好きで

刑事、警察もの、法定物が殆どなので

岩手の訛りで会話がつづられたこの本を読んで

心の底の方がじんわりと暖かくなりました。

 

もう一度勉強しなおすっす。