2023年の秋、横行結腸に癌が見つかり、その後の精密検査で肝転移が確認された私は、2024年1月、腹腔鏡手術にて大腸の右半分と肝臓の一部を切除するため入院しました。
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長い旅行にでも行くような気持ちで始まった入院生活も終わりを迎えようとしていた。
この病院で過ごした9泊10日の旅はまさに「未知との遭遇」の連続だった。
退院する日の前の晩、窓の外に広がる夜景を眺めながら少し感傷的な気持ちになった。
「あ~、今日が最後の夜か。この窓から見る景色もこれで見納めなんだなぁ…」
一日も早く退院できるよう、手術後は懸命に歩行訓練などのリハビリに励んできた。
けれど、いざ明日退院する、となるとなぜか無性に寂しくなったのだった。
これまで病院に対してはどちらかといえばネガティブなイメージを持っていた自分。
入院する前は正直、不安だった。
色々と怖い思いをしたり、恐ろしいものを見てしまうのではないか、そんな怖れを抱いていた。
けれど、初めての入院生活は予想外に快適で穏やかな日々だった。
優しくて献身的な看護師さん達。(彼らは本当に天使だった。)
素晴らしい手術をしてくれた主治医と麻酔科医、そしてオペ看護師。
朝と晩、様子を見に来てくれた若くフレッシュな医師のおふたり。
毎食、上げ膳据え膳で供された美味しい病院食…。
入院中はとにかく体の回復だけに専念していればいい、という楽ちんさ。
そして常に見守ってくれているような安心感がここにはあった。
すべてに感謝したい思いだ。
退院前日の午後、会計の方が入院費の概算請求を部屋まで持ってきてくれた。
そこに書かれた金額を見て、これだけ質の高い医療を受けて、これだけのお値段とは!といささか驚いた。
やはり誰かが誰かを助けている。
どこかで支え合っている。繋がっている。
そんなことをひしひしと感じてしまった。
この体は自分のものではない。
養老孟司さんが、いつか「生きる意味、それは自分のためじゃない、他者のために生きている」的なことを言っていた。
考えてみれば、自分を喜ばすことより、他者が喜んでいるのを感じている時の方が嬉しかったりすることもあるかもしれない。
他者の喜びが自分の喜び。そんな風に感じやすい人が、看護師とか医師、介護士などの医療従事者になるのかな。
私もこれからはこの体(自分であって自分でない)を愛し、他者を愛することができたらいいな、と思った。
いい旅だった。地獄めぐり、といった面もないではなかったけれど、どの人もきちんと自分の運命を受け入れて生きているんだなぁ、と感じた。
病棟で出会った私と同じ病を持つ患者さん達のことを思い出す。
この病棟には多くの癌患者さんが入院されていた。
自分と同じような境遇の人たちが、それぞれの病と向き合っている。
私ひとりじゃないんだ、そんな思いが、不思議な安らぎを与えてくれたような気がする。
いつかの夜中、トイレに起きた時、隣のベッドの方が寝息をたてて眠られている時は安堵した。
彼女は抗がん剤治療をされていた。
苦しくなければいいなぁ、そう思いながらその方の安寧を祈った。(彼女は副作用の便秘に大変苦しまれていた。)
肝臓外科の若先生と最後にお会いした時のことだった。
私はこの時、手術も無事終わり、すっかり治ったような気持ちで彼に元気よくお礼の挨拶をした。
「先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました!」
すると若先生は「お元気で」と手をさし伸ばし、握手をしてくれた。
その時彼の顔に浮かんでいた表情がなんだか忘れられない。
あれは今思えば、
『まだまだこれからわからないんですよ。
あなた、もうすっかり治ったような気でいるかもしれないけどステージ4なんですよ。
でもお元気で…』
今となってはそんな表情のようにも見受けられたのだけど…。
気のせいかな?
退院の日の朝がやってきた。
久しぶりに衣服を着る。
やっぱり違うなぁ、と思う。
服を着るとスイッチが入るような気がする。
朝の排便では術後初めて固まった便が出てきて快哉!
幸先いい感じ?
最後の朝食を頂く。
ご飯は半分残したけど、おかずは全部食べた。
9時半に看護師長さんがいらして、忘れ物チェック。
その後、クラークさんもいらしてチェック。
それぞれの方にお礼を言い、会計をすませ退院。
迎えに来てくれた夫と一緒に久しぶりに病院の外に出る。
2月の陽射しが暖かかった。
背中を丸めつつ、ゆっくりゆっくりと小さな歩幅で家路についた。
入院記・完