わたしは、どこへ行ってしまうのだろう。
モノといっしょに、わたしまで消え去ってしまいそうだ。
それでちょうどいいぐらいかも知れない。
せっかくスッキリしても、またその日から、せっせせっせと溜め込むのかも知れない。
やはり、人間改造が第一だろう。
脳ミソごと、すっぽり入れ替え、名前は同じだが、別の人物に変身しなければならない。
???
母たちは、先代が亡くなると、まず、蔵の整理をした。
残すものと残さないものを仕分けする。
義父は、先代が亡くなる前から、時間を作っては整理をしていた。
留袖などの着物の場合は、そのまま継承する場合もあるが、ほどいて洗いに出して、反物にすることもある。
その反物で、また着物を仕立てることもある。
が、母の代からは、そんなことはしなくなったと思う。
母の着物も、わたしたち娘にではなく、母の姪たちに先日、譲ったそうだ。
彼女たちが、気軽にお茶のお稽古に着ていきたいからだとか。実家に寄ってきたらしい。
持って帰りたいだけ、持って帰らせたと、母は言っていた。
ちなみに、母は、フォーマルな着物を着ると、なぜか貫禄がある。誰しもだろうけれど。
義姉(夫の姉)の晴れ着を娘たちが着ることもある。
娘たちが、わたしの晴れ着と趣味が合わなかったりすると、いろんな人の、いろんな着物があるので、選び放題。
ただし、わたしは、娘たちには着物は買っていない。
あんなにたくさん着物があるのに、買う必要はないと思っている。
着物の柄を見ると、お母さんの時代の着物を娘さんが着ていると、一目見てわかる。
なぜなら、わたしが娘だった時代の柄だから。
それはそれでいいと感じる。
今風の柄の着物が着たい、と思う場合は、レンタルにする。
もう着物は、これ以上要らない。
???
わたしが、ひとつ狙っているモノがある。
それは、祖父のスーツケース。
明治時代の、ワイン色のようなブラウンのような色の、革製のずしりと重いもの。
まったく同じものが、実家に二つある。
パリのクリニャンクールの蚤の市で、ほとんど買いそうになった、お気に入りのスーツケースがあった。
1900年頃の製品らしかったので、祖父の品と時代的には似たようなものか。
あちこち、ヨーロッパを旅行したであろう、その蚤の市のスーツケースは、いろんな時代の空気を吸っている。
が、運搬費がえらく高いようだったので、断念した。
