私的北海道ダークツーリズム、囚人道路から弟子屈の硫黄山へと向かう。
屈斜路湖そばの硫黄山はアイヌ語でアトサヌプリ(裸の山)という。

1885年(明治18年)、標茶町に釧路集治監(刑務所)がつくられ、
その300人の囚人による硫黄の採掘が始まった。


現在観光客でにぎわう場所から50メートルほど右に作業場があったという。



現在でも建物の木材やレンガ、ガラス片などが見つけられるそうだ。

当時は硫黄の粉と亜硫酸ガスに加え、栄養失調も重なり失明する囚人が相次ぎ、
硫黄によって脳神経に支障を来した看守も囚人による殺傷事件も続出。
操業わずか半年で300名余りのうち42人が亡くなっている。


今も激しく噴き出している白い煙。近づくとガスで目を開けていられない。
30分ほどの滞在で臭気が染みついたようで、宿でも硫黄臭が残っていた。
ここで働き続ける毎日はどんなものだったのか・・・。


転機は2年後の1888年(明治21年)。キリスト教誨師、原胤昭が視察に訪れた。
悲惨な現場を見た彼は、その後の囚人の使役の中止を決定。
囚人はその後、道路開削や屯田兵舎建設などの作業に移行していく。

北海道内での囚人労働は1894年に廃止、1901年には標茶集治監は網走に吸収されたが、
暗い歴史はここで終わらず「タコ部屋」に引き継がれ、
本土から渡った人々の犠牲によって北海道の繁栄はつくられていく・・。

かつて硫黄を運ぶ軽便鉄道だった釧網本線・美留和駅の線路。


美留和駅を出て釧網本線と並ぶ国道391号線に。
標茶へと続く道を見つめながら、当時に思いをはせた。