母が認知症になって、もう10年くらいになる。
今年93歳。渡辺貞夫さんと同じ、昭和8年生まれだ。
コロナが流行り出した翌年、少しずつ認知症が進んでいく母にいつも寄り添い、面倒を見てくれていた父が突然倒れた。
父の入院中、母を我が家で預かることになった。
その間に父はリハビリ施設で亡くなり、母と一緒に病室へ行って、最後のお別れをした。
その後、母はグループホームに入居した。
でも、私に会うたびに、
「Sちゃんは、どこにいるの?」
と聞く。
父が亡くなったことは、何度話しても理解できない。
「この前、お葬式したでしょう。」
「え〜〜〜、死んじゃったの?」
そう言って、およよ、と涙ぐむ。
何度繰り返したことだろう。
今年の5月、母はコロナに罹り、そのままU病院へ緊急入院した。
手厚い看護と素晴らしいケアスタッフの皆さんのおかげで、なんとか意識を取り戻した。
でも、そのまま認知症もどんどん進み、今では病室のベッドから起き上がることさえできない。
会いに行くたび、
「私、誰かわかる?」
「遼介も一緒だよ〜」
などと声をかける。
すると、
「誰かしら。」
「そう、ありがとうございます。」
と、敬語で短く返事をするだけ。
あの元気いっぱいで、みんなに優しく、明るかったKさん。
認知症になってもいつもニコニコしていて、歌を歌うのが大好きだったKさん。
もう、そこにはいない。
「ありがとね。」
という口癖だけは、今でもときどき口にする。
舞台女優を目指していた母。
京都・祇園のお茶屋の娘(養女)だった母は、実家の家業が嫌で京都を飛び出し、父と駆け落ち同然で東京のボロアパートに住み始めた。
そこで、私は一人娘として生まれた。
当時の母と父の話は、父の友人だった画家・池田満寿夫さんの芥川賞受賞作『エーゲ海に捧ぐ』の中の「テーブルの下の婚礼」にも出てくる。
父についても、池田満寿夫さんと長野から上京して画家を目指していた頃の、面白いエピソードがたくさんある。
それは、また別の機会に書こうと思う。
今回は、母の話。
入院してから、母には月に2回ほど会いに行っている。
行くたびに弱っていくようで、とても悲しい。
本人は痛いとか苦しいというわけではない。
ただ、目も開かず、ずっと眠っている。
揺り起こすのもかわいそうかなと思って、
「また来るね。」
と小さく声をかけて病室を出る。
その瞬間が、本当に辛い。
次に来たとき、果たして今日よりおしゃべりができるのだろうか。
そんな不安を抱えながら、病院を後にする。
そんなある日。
London Jazz Festivalへの出演が本格的に決まったので、病院で母にそのことを話してみた。
もちろん、私が音楽を、サックスを吹いていることなど、もう分からないと思う。
この日は、いつもよりずっと元気そうだった。
目も開いていた。
ちょうどオムツを替えてもらったばかりだったからか、意識もしっかりしていて、少し会話ができた。
私は母に言った。
「今年の11月に、LondonのJazz Festivalで演奏することになったのよ。」
すると母が、
「へ〜、いいわね〜。私もついていきたいわ〜」
と言った。
私は、その反応に耳を疑った。
昔のKさんなら、きっとそう言う。
誰よりも私たちの演奏が大好きで、ライブにもよく来てくれていたKさん。
あの頃の母が、一瞬戻ってきたような気がした。
「一緒に連れてはいけないけど、Kさんに聴こえるように、一生懸命演奏してくるからね。」
「うん。ありがと。」
それが、母とのはっきりした会話だった。
その後、もう4回ほど母に会いに行っている。
でも、もうこんな会話はできない。
それでも私は、この日のことをずっと、ずっと心に刻んでおこうと思う。
11月、Londonで思いっきり演奏してこよう。
「私もついていきたいわ〜」
と言ってくれた母の言葉を、連れていくつもりで。
ありがと、Kさん。
また会いに行くからね。
もう少し、がんばろうね。