タバコ、何年間かやめてたけど、
数年前からまた吸い出して。


美味しいなぁ〜って思うのよね。




もう閉店しちゃったお店だけど
ここでタバコとコーヒーと一緒にお絵かきしたり資料作るのが好きだったな。




そんなだから、
わたしはタバコ好きなんだと思ってた。


それは間違ってはない。
たしかに好き。


でもね、


その好き、の感覚のなかに
気づかないふりをしてるものがあった。



それが、
孤独感。





寂しいことを

文字通り煙に巻いてた。




1人であっちこっちの神社に行くことが
ちょくちょくあってね。

出雲いったり伊勢いったり。


そんなときにさ
1人で行動してることが
恥ずかしく見られてるんじゃないかとか、
寂しいやつだと思われてそうとか、
そんな風に考えて、

喫煙所に逃げ込んでたのよね。


わたしは平気です、ってフリをして。




で、それっていつからだろうと思ったら
20歳ごろからそうだったんだよね。


吸い始めた理由がそもそもそう。



団体行動できなくて
空気読めない自分が

可哀想で仕方なかった。

だから自分から団体から離れるために
喫煙所に行くことを覚えたの。


女の子の団体からずっと抜けても
不自然じゃなく見えると思って。



かっこつけて吸ってた部分も大いにあるけど
それもやっぱり、
寂しい自分を煙に巻いてたんだよね。



自分にも他人にも見えないように隠してた。





煙に
隠してもらい、守ってもらい、安心させてもらってた。




1人行動が嫌な訳ではなく
気楽で好きなんだけどね。


人の目気にしすぎたり
そうやって他人のせいにしながら
自分のこと可哀想で孤独だと思い込んできて

何かないと
立ってられなかったな、と思う。


自分だけがあればよかったんだけど
それを信じきれなかったから。

理由が必要だった。







病気が落ち着くまでは控えるつもりだったけど
やめる気は全然なくてね。


ただ、今日急に
出雲行きてえ
って思ったの。
立冬に行きたいなって。


思ったと同時に
タバコ吸えるくらい回復するかな?と
考えたのね。


今年は難しいかな、と思った基準がそこだった。



それでおかしくないか?って気づいたんだよね。




わたしは1人行動して寂しいやつだと思われるのが嫌でした、
団体からはみ出てしまう自分を隠したかったです、
あえて自分から抜けることで
可哀想じゃない自分を作ってきました、

まとめるとこんな感じのことを
煙に巻いてきた。



でももう書いちゃったし
隠せない笑い泣き


煙に巻く必要がなくなったら
禁煙するんだろうか?

まだ体調が良くなさすぎて
何も考えられないけど。


まぁ、もうどっちでもいいか、ってのが
本音てへぺろ



隠す必要がなくなったら
好きな時に吸いたかったら吸えばいいし
ならなかったらやめてくんだろうし。




でもやっぱり
好きなんだとは思う。

今は感謝もすごくしてる。
十数年間も守ってもらってきて
楽しい時間とか出会いとかも結構あった。
ありがたさの極み。


愛からできてんだろうな、
タバコもね。