　世の中が複雑化するにつれて、宗教ではなく、官僚主義的な知的カーストは世界を支配しているのではないか。そのことを鋭く突いたのはシモーヌ・ウェーユの『抑圧と自由』(石川湧訳)である。

　ウェーユは知的労働と肉体労働の廃止を主張した彼女は、それを批判する立場からレーニンを俎上に載せたのだった。レーニンの『唯物論と経験批判論』は、エンゲルスの唯物論から離れようとしていた労働者の理論家たちに反駁するために書かれた。あまりにも党派的な言説であったがために、彼女は我慢できなかったのだろう。

「党の科学」として示され、疑いを挟むことが許されなかった。それをウェーユは問題視したのである。ウェーユは「思惟が世界を認識することがどうしておこなわれるかを説明するために、人は世界を思惟の単なる創造として表象することもできるし、思惟を世界の所産の一つ、説明し得ない偶然によって、世界の影像あるいは反映を構成するところの所産として表象することもできる。レーニンは、あらゆる哲学は根本に於て、これら二つの見解の一つに還元されるべきであるとし、もちろん、後者を選んでいる」と批判した。

　ウェーユからすれば、レーニンは「人間の頭脳の所産が」、外見上は摂理のおかげで、自然の写真・映像・反映である点に存する、とあくまでくりかえす」というのが問題なのである。レーニンの粗雑な唯物主義を批判したのである。

　これに関しては、西田幾多郎もウェーユと同じ考え方に立脚していた。三木清の『西田先生との対話』において、西田幾太郎は三木に向って、マルキシズムについて「あの立場が進めば、主観に独立の意味を認めなくちゃならんと思ふ。弁証法的物質といやうなものは、ただ客観的に考へられるものではなく、主観的の意味をも含まねばならぬ。現在いつてゐるやうでは、意識はどうして出るか、文化は何處から出るかわからない」と述べた。西田によれば「マルクスは主観客観の一つになった歴史の形成作用といふものを考へてゐるように思はれるが、エンゲルスになると、却って十八世紀の唯物論に逆戻りしたやうなところがありはしないかね」と断じたのだ。

　素朴は反映論であるならば、意識は自然を反映するだけのものに過ぎない。しかし、意識はもっと別な働きをするというのが、西田の主張であった。西田は「歴史は表現の世界である」との観点から、独自の論を展開したが、それはウェーユの思想と見事に符合するのである。

「表現といふのは自分を否定し、他者において自分を見るということだ。これがまた働くといふことの意味で、働くという場合、二つの者が関係するので、そこにはいつも、自分を否定し他に於て自分を見て肯定するという意味がある。マルキシズムは意識を写すものといふが、写すとは働くことだ。歴史の世界は表現として、言葉といふものについて深く考へてみなけりやならん」

　意識が自然を反映するだけでは、弁証法そのものが成り立たない。「写すとは働くことだ」との言葉は含蓄がある。他者を通して自らを確認する存在として、私たちは他者との対決を通して目指すべき永遠の今に身を置くことになるのではないか。それは単なる意識が写すことではなく、働きとしての行為的直観として語られる思想と共通性があるように思えてならない。

　戦後のマルクス主義陣営の論争を先取りするかのような議論が、ウェーユや西田で始まっていたのである。マルクス主義は妖怪としての存在すら失ってしまった。しかし、マルクスの今日的な意義を論ずるには、エンゲルスやレーニンの色眼鏡を使うのではなく、優れた思想家の見方を参考にすべきなのである。

世にはびこる俗流マルクス主義の欠陥を指摘 シモーヌ・ウェーユと西田幾多郎

世にはびこる俗流マルクス主義の欠陥を指摘　シモーヌ・ウェーユと西田幾多郎