いまだに強制収容所と政治的非追放者を労働力として利用する国家が存在するのである。中国ではウイグル族などを中心に、再教育の名目で200万人以上が、北朝鮮の強制収容所では6万人の政治犯が拘束されているとみられる。
アルベエル・カミュは「歴史的であろうと非歴史的であろうと、進歩的であろうと反動的であろうと、この世界には収容所の事実を私に承認させ得る理由はどこにも無い。私はただ、社会主義者たちが豫(あらかじ)め、また如何なる場合にも支配の手段としての強制収容所を拒否すること求めただけである」(『自由の證人』矢内原伊作訳)と書いた。
一応は中国も北朝鮮も、社会主義を国是にしており、カミュの素朴な疑問に答えるべきであろう。カミュのその問いかけは「私の役割は世界を変革することでもなく、人間を変革することでもない。私にはそれだけの力もなく、知識もない。しかし私の役割は恐らく、それなくしては変革された世界も生きるに値せず、それなくしては新しい人間も尊敬されるに値しない幾つかの価値に、私の持ち場に於いて仕えることである」(『同』)というものであった。
人間としての尊厳を踏みにじるようなことが、許されてよいわけがない。カミュはスターリンばかりでなく、レーニンをも批判の対象にした。「レーニンの中にはマルクスとネチァイエフ(第一インターナショナル当時の過激な革命主義者。陰謀家)とがいた。ネチァイエフの方が勝ちを占めて来ている。そしてかつて歴史が知っていた最も絶対的な合理主義は、言わば論理の当然の帰結として、最も絶対的なニヒリズムと一致するに到るものである」(『同』)と断じたのである。
未来を先取りすると主張して、そんなテロルがまかり通っているのである。にもかかわらず、日本の左翼やリベラルは、そうした全体主義者の走狗と化してしまっているのだ。
脱北者である川崎栄子さんの「花ホテルサプライズ講演会」が6月16日午後5時半から会津柳津温泉で行われるが、それに協賛し、一人でも多く参加を呼びかけるのは、全体主義国家で自由を奪われ、人権を無視されている人たちが、一日も早く自由の身になることを願うからなのである。
