9で割れ
矢口高雄
講談社 講談社漫画文庫
1~3巻 2005/3/11

 

昭和生まれの僕にとって、昭和はガサツで令和は繊細、同時に昭和はダイナミックで鷹揚で令和は神経質で揚げ足取り、昭和は絶対悪と必要悪があったが令和は自分に関係なくても悪はとにかく徹底的に叩き潰す存在、昭和は悪をも取り込んで丸め込んでしまう時代で、令和は悪に飲み込まれてしまう時代。そんな印象を持っている。

 

昭和賛美のようだし、実際自分でもそう思うのだけれど、この作品「9で割れ」のような、自分の生まれる前の「昭和」だと、「それはちょっと耐えられないな」と思うことがしばしばある。実感していない知識や情報だけのことを、その時代の空気を吸っていない者が判断すれば、「絶対嫌だ」になってしまうのだなと思った。

 

時は昭和33年。「釣りキチ三平」でお馴染みの矢口先生はまだ漫画家デビューを果たしておらず、銀行員だった。

 

就職のために親元を離れるといっても一人暮らしではなく、伝手を頼っての下宿。自分の部屋は与えられるものの、下宿先の家族と生活を共にする。一人暮らしができるまでになるには、何年か社会人を経験しなくてはならなかったのであろう。

 

銀行といっても電卓もない。ソロバンを使っての日常業務である。得意先を訪問してはお茶をいただき、お喋りに興じて時間を潰す。そんな時代である。もちろん、熾烈な戦いもあるのだが。

 

その時代の銀行には、「宿直」があった。矢口青年も輪番で宿直勤務は回ってくる。セコムもアルゾックも無い時代だから、銀行を夜間に無人にしておくわけにはいかなかった、ということなのかもしれないが、武器も無ければ武術をたしなんでいるわけでもないサラリーマンが宿直したところで、何の役に立つというのか?

 

やることさえ終えたら、あとは宿直室で読書をしようがラジオを聴こうが自由なわけだし、あとは寝るだけ、むしろ下宿先で気を遣うよりもいいかなと思うので、宿直そのものは僕は苦にならなかったと思うけれど、その意義を見出せなくて、「なんなんだこのシステム」と不安に思ったろう。まあ、手当がつくからいいのだけれど。

 

でも、この作品内では、別の支店で行員が宿直中に銀行強盗に襲われて、殺されている。大自然の中で遭難して命を落とすなんてのは矢口先生の作品ならあるかもだけど、強盗殺人なんてのが出てきたのは正直ショックだった。

 

しかし、この作品(この時代)でもっとも嫌だなと感じたのは、背広や保険の営業マンの存在だった。僕は経験していないが、親父の話などをきくと、職場に出入りするそういった営業マンは、その時代に確かにいたらしい。

 

新入社員が入ったら、そんな連中がわんさとやってきて、次々契約をさせられる。給料なんてたかがしれているし、なんなら初回の給料の支給前だったりもするのだが、いつのまにかローンを組まされる。

 

それを先輩社員が守ってくれるでもない。旧知の関係のごとく(実際そうなのだろう)営業マンが大手を振って職場に乗り込んでくるのを容認している。先輩たちもそうやって契約させられたのだろうし、それが当たり前の世の中だったのだろうが、これは「嫌だなあ」と心の底から思ったものだ。

 

みんながそうしてきたから、自分もそうしなくてはいけない。

それが当たり前。

そういうのを僕はとても毛嫌いしていた。

 

実は、僕は今でもそうである。

団体行動とかも嫌いだし、それ以上に、選択肢や逃げ道の無い状況で強引にそうさせられることに、ひどく嫌悪感を覚えるのだ。

 

年齢を重ねて、僕が嫌だったのは「団体行動」ではなくて、「団体活動」なのだと気づいた。たとえば、団体旅行なんか若い頃は絶対いやだったけれども、今は悪くないと思っている。団体旅行だと、あらかじめスケジュールが組まれているし、そのスケジュールのために便宜が図られているし、その限られたスケジュールの中で最大限のものが与えられる。たとえば、ガイドさんの存在だ。自分一人なら、それなりに勉強をしていかなくては楽しめないものを、ガイドさんがいれば、現地でかいつまんで説明してくれる。これが美術館とかだと、熱心に勉強をしたボランティアガイドさんだったり、プロの学芸員だったりすることもあるわけだ。

 

そもそも、自分で計画したら絶対行かないであろうところへも、無理やり連れて行かれる。興味を持ってなかったところへも行かざるを得ない。それはとりもなおさず、新しい世界を知ることである。悪くない。

 

でも、団体活動は嫌いだ。話し合って、コンセンサスを形成し、それからの行動となる。面倒臭いし、時間の無駄なのである。

 

それは「既得権を得た出入りの営業マン」から背広を買うことなのである。

 

そんな「経験していない嫌な昭和」も含めて、矢口先生が銀行員から(おそらく)漫画家になるまでを描いた自伝的エッセイ漫画がこれである。

 

漫画家を目指して作品を描き上げて投降するも、なかなか芽が出ない。銀行員の話だけでなく、漫画家を目指して苦悩する時代も描かれている。

 

3巻までは所持しているが、書店へ行く機会が極端に減ったためか、最終4巻は未入手。さきほど、「(おそらく)」と書いたのは、そういう事情があって、最後まで作品を読んでいないからだ。

 

古書はバカ高くて手が出ない。最終巻だけ法外な値段のついている古書というのはちょいちょいある。最近だと、「宇宙よりも遠い場所」の4巻だったり、「犬とサンドバック」の下巻だったり。「9で割れ」4巻についてはどうなのかわからないけど、「宇宙よりも遠い場所」や「犬とサンドバック」なんかは転売屋が買い占めているのがはっきりとわかる。

 

重版が繰り返されるのが明らかな大ヒット漫画以外は、特に最終巻においては、ネットで予約ポチをしておかないと、安心できない時代になってしまった。せめて「文庫化」するような漫画は、ちゃんと重版して、転売用にキープされている古書の値崩れを誘発してほしいものだ。

 

健全に作品が読まれ、そのことで健全に出版社が儲かり、作者の懐も潤って作家活動が継続できて次の作品につながる。そうしないと出版業界はダメになると思う。

 

重版されそうにない漫画を買い占めて高値で転売して儲けたって、「法律に触れているわけじゃない」つまり「悪じゃない」と許される世の中、どうやらそれが令和らしい。

 

さもしいねえ。

 

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